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本の感想2「たった一人の熱狂」

こんにちわ、ざきさんです。

 本の感想二冊目です。これは今の職場の上司が「おススメの本を貸すよ」と言われて渡された本です。てっきり難しい医学書を渡されると思っていた自分は拍子抜けすると同時に、今自分に求められていることについて考えました。

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 まず最初に飛び込んできたのは汗臭そうなオッサンの表紙。怒鳴りつけるように睨む眼光が強烈で、思わず僕は「誰だよ!?」と頭の中で叫びました。その次に見えたのは『幻冬舎代表取締役社長』の文字。幻冬舎と言えば現代ではホリエモンのベストセラーなどを生み出した箕輪厚介氏の名前がまず浮かびます。そうか、あの箕輪厚介を生み出したのは幻冬舎イズムとも言うべき見城徹氏の血が流れているからこそなのか、と納得したのでした。


 書を開くと、見出しには極太のコーポレートロゴが視界に飛び込んできて目に突き刺さる。近年のユーチューバー人気にも見られる風潮「仕事は楽しいことで生きていく」と言ったある意味で緩い世の流れをぶった切るアンチテーゼがあった。ふと『人間である前に療法士でありたい』と、以前私の上司であった理学療法士の主任が言っていた言葉を思い出しました。現代の人々は飢餓や病気に恐れることは減り、自分らしさを求めるようになったらしい。すると必然的に苦しい方向へ体は向かなくなる、自分が楽にできる方向へ無理せずできる方向へ向こうとする。壁にぶつかると「僕には向いていなかった」などとすぐに言い出す。とある本で明治大学文学部教授の齋藤孝氏は「いまの若い人で執念』という言葉を使う人はとても少ない」と書いていました。人間である前にプロフェッショナルであろうとするには生き物としての欲望を超えた仕事に対する執念が必要なのかもしれません。


 本書の中で私が最も印象に残っている一文は『自己検証・自己嫌悪・自己否定』です。私自身、過去には精神を病んでしまった経験があり、いわゆる「ポジティブになれる本」を読み漁ってきました。しかしどれにもここまで自己否定を肯定するものは無かった。背中をバシッと叩かれ、そうか自分を否定しても良かったのかと気づかされた。

 もう一つ印象的だったのは『一撃必殺のキラーカードをつかめ』です。見出しのキラーカードという言葉を見て最初に頭に浮かんだのは、療法士の間でもよく言われる「自分の武器を持て」という言葉でした。手の外科に詳しいだとか、パーキンソン病は任せろだとか、時には認知運動療法やボバース法やSJFや川平法ができるだとか…ほかにもほかにも。確かに武器を持っていることは自信に繋がるかもしれない、確かに武器は無いよりあるほうが強いと思います。しかし見城徹氏はキラーカードを求める者を「落伍者」と言い切りました。『努力に努力を重ねた生き方の集積がキラーカードになる』。そうだ私は簡単に答えを求めてしまっていました、これさえ習えばリハビリの仕事は勝てる!と言うカードは存在しない。また、ここで言う見城徹氏の努力とはもちろんちょっと勉強すればいいと言った甘っちょろい考えではありません。睡眠時間を削り身を削り地を這い泥水を啜るような努力です。キラーカードは求めるものではなく、ひたすらプロの道を進んだ先に気が付けば持っているモノだったのかもしれないと感じました。


 さて、本書を読み進めながら思い出した言葉がありました。阪急東宝グループ創始者の小林一三氏の『下駄番を命じられたら、日本一の下駄番になってみろ。そうしたら、誰も君を下駄番にしておかぬ』という言葉です。今いる場所で必死にならずに、いつ必死になれるというのでしょうか。チャンスが来るのを待っているのではなく、今、執念を燃やす時が来ているのです。このまま一矢報いずに終われるものか!!


 仕事とは、命のロウソクを自らゴリゴリと削りながら死に向かって行われる、それこそ仕事人のやるべきことなのです。過去の自分を見下しながら、未来の自分に中指を立て、今いる場所で足掻き苦しむ生き方が私の生き方なのだと信じ、これからも療法士として生きていこうと決意したのでした。

 ド熱い本だったので筆が走ってしまいました。あっという間に「たった一人の熱狂」を読み終えた私は、そのあとすぐに感謝と共に本を返し、自分用に買っちゃいましたとさ。


また読み返したい一冊。

ではまた!

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