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好きよ好きよも好きのうち【5話完結小説②】
第2話「届かないパス」
ボールが体育館の床を弾む音が、規則正しく響いていた。
誰かのシューズがキュッと鳴る。遠くで誰かが「ナイスパス!」と声を上げる。
けれど、その音はどこか遠くで鳴っているように感じた。
渡瀬 颯真は、何気なく姫野の姿を目で追った。
彼女は今、後輩とパス練習をしている。短いポニーテールが揺れるたびに、彼女の横顔がちらりと見えた。
けれど、いつもと違っていた。
ボールをキャッチする手が、少しぎこちない。シュートの際の動きが、微かに遅れる。
――迷いがある。
それは、バスケットボールでは致命的なことだった。
(何か、あったのか)
さっきの練習中も、彼女の動きには違和感があった。いつもなら、迷わずボールをさばくはずの彼女が、今日はほんのわずかに躊躇する。
俺は、ふと気づく。
彼女がミスをするのは、俺が近くにいるときだった。
* * *
「颯真、パス!」
声に反応して、ボールを受け取る。
すぐにドリブルで駆け上がる。相手ディフェンスをかわし、ゴール下へと切り込む。
バスケは、迷いが命取りになるスポーツだ。
迷えば、一瞬の隙が生まれる。だから俺は、いつも考えるより先に体を動かすようにしている。
だけど、今。
姫野のことを考えた瞬間、ふと手元が狂った。
「うわ、珍しいな」
リバウンドを取った後輩が、驚いたように笑う。
「渡瀬先輩が外すなんて、どうしたんすか?」
「……ちょっと考えごと」
自分でも、何を考えていたのか分からない。ただ、ボールを放つ瞬間、頭の片隅に姫野の顔が浮かんでいた。
迷いのあるパスは、届かない。
それは、コートの中でも、きっとそれ以外の場所でも同じだ。
* * *
「姫野!」
練習が終わったあと、体育館の外で彼女を見つけ、俺は声をかけた。
「……あ、渡瀬先輩」
驚いたように目を丸くする彼女。
「ちょっと、いいか?」
「え、はい……」
戸惑うような表情のまま、姫野は小さくうなずいた。
俺は、ポケットに手を突っ込んだまま、静かに口を開く。
「……今日、なんか調子悪かっただろ?」
姫野は、目を伏せた。
「……そんなことないです」
また、その言葉。
「嘘だろ」
思わず言ってしまう。姫野は、ぎゅっと唇を噛んだ。
「俺、そんなに鈍くないから」
彼女の指先が、ぎゅっとシャツの裾を握る。
「……渡瀬先輩って、なんでそんなに気づくんですか?」
「そりゃ、同じチームだからだろ」
言ってから、自分の心がほんの少しざわつくのを感じた。
「……それだけ、ですか?」
姫野がぽつりと呟く。
その言葉の意味を考える前に、彼女は小さく首を振った。
「……すみません、なんでもないです」
そう言って、姫野はふっと笑う。
その笑顔が、なぜか痛かった。
俺は、一歩踏み出す。
「……姫野」
何か言おうとしたそのとき、遠くから誰かが彼女を呼ぶ声がした。
「姫野ー!帰るぞー!」
結衣だった。
姫野は、俺を一瞬見上げたあと、「じゃあ、また明日」と言って駆けていく。
俺は、その背中を見送った。
風が吹く。
まるで、届かないパスのように。
次回 第3話「気づいてしまった想い」