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真実はいつもひとつ!だと思ってませんか?

薬を飲まされて小さくなってしまった高校生がよく言うセリフ。

「真実はいつもひとつ!」

殺人事件の犯人とか、犯人が用いたトリックとか、そういう文脈では正しいと思います。

では、リハビリテーションという文脈ではどうなのでしょうか?

その介入方法、その福祉用具の選択、その環境設定、その退院時期、その介助方法、その動作パターン、その練習方法…

全て、『ひとつの真実』を選べているのでしょうか?

今回のnoteでは「真実はいつもひとつとは限らない!」ということを考えてみたいと思います。


真実は多くの選択肢から選ばれたひとつ

リハビリテーションというものに関わっていると、答えのない問いばかりが目の前に現れます。

そのような問いに対して、何らかの回答を出さなければなりません。

そんなとき、自分の持っている知識や経験から、回答をひねり出そうとします。

医学的な観点では、これが正しい。

運動学的な観点では、これが正しい。

生物学的な観点では、これが正しい。

解剖学的な観点では、これが正しい。

心理学的な観点では、これが正しい。

人間工学的な観点では、これが正しい…

などなど。

このような複数の観点で物事を考えられるのは良いことだと思うのですが、これらの複数の『正しさ』が一致することは少ないのではないでしょうか。

そうなったとき、どこかの比重を重く、または軽くし、どこかに着地するということになります。

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上図は簡略化して作った図なので、実際は重なり方とかがもっと複雑だと思います。

そこに他職種の意見、患者さん・利用者さんの意見、ご家族の意見、環境的な制限などなど、多くの情報や意見を踏まえて、最終的な決定が下されます。

このように決められたものは、『ただひとつの真実』だと言えますか?


『正しさ』は薬にならない

私は普段、訪問看護ステーションから訪問する理学療法士として働いています。

先日、こんなことがありました。

私の訪問している利用者さんの移乗介助が大変になってきたので、福祉用具を提案しました。

主に使用するのはご家族。

ご本人は自力では立ち上がりが難しい。

ご家族は持ち上げるように介助する傾向があり、腰も痛くなってきている。

最近では2人介助で移乗する場面も増えているが、1人のときはどうしよう…という状況。

ケアマネさんの意見もあり、トランスファーボードを試していただくことに。

教科書的には、移乗介助にはトランスファーボード。

確かに、機能を考えると、移乗介助の際にトランスファーボードを使用すれば持ち上げる力が不要になるので、正しい選択かもしれません。

ただ、ご家族がトランスファーボードを使用するのって、難しい場合が非常に多いんですよね。

実際に業者さんからデモをお借りして、使用方法をご家族に見ていただきました。

「一人で(ご本人の体を)支えながら刺し込むのは無理だね」

ということで、今後も移乗の際には2人介助で行われることとなりました。

力学的な観点や人間工学的な観点、福祉用具の特徴や利点、ご本人の身体機能などから考えると、トランスファーボードの使用は『正しいこと』かもしれません。

しかし、利用者さんやご家族さんは『正しいこと』は求めていません。

現実的で、実行可能で、できれば負担の少ない方法。

ここで我々セラピストは、『正しさ』を押し通すこともできます。

「いえいえ、この方法がベストなんで、使い方を練習して使えるようにしましょう」

なんて言うことは簡単ですし、聞き入れてもらえるかもしれません。

「専門家がそう言うのなら…」みたいな形で納得?される方は多いです。

しかし、そんな形でゴリ押しされた福祉用具、いつまで使うのでしょうね?

実際、レンタルされたけど使われていない福祉用具を返却するというのは、訪問で働く療法士が多く経験する業務の一つです。


真実はどこにあるのか

『真実』というのは、『私にとっての真実』『あなたにとっての真実』というものであって、『普遍的な真実』というのは存在しないと考えています。

数学のように一つの解答が得られるものもありますが、そもそも数学は一つの解が決まるようにデザインされたものです。

冒頭の殺人事件であれば、ただ一人の犯人(共犯もいるかもしれませんが)、ただ一つの犯行方法など、一つの真実が決まるかもしれません。事後的な場面では一つの真実が見つかりやすいですね。

リハビリテーションの場面で考えなければならないのは、複数存在する『誰かにとっての真実』を集めて、『いつもひとつの真実』ではなく最適解としての『真実』を提案することだと思います。

複数の『真実』の中から最適解を見つけるためには、誰の『真実』を重視するか、ということも決めなければなりません。

リハビリテーションは誰のものなのか、何のためにするのかを考えると、自ずとその答えも見えてくるのではないでしょうか。

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まとめ

リハビリテーションにおける『真実』について考えてみました。

『真実』なんて言ってしまったので、少し大袈裟な感じがするかもしれません。

今回伝えたかったのは、様々な正しい事柄を集めても、ただ一つの正解なんか決まらないということです。

我々セラピストは、ただひとつの解答を探しがちだと思っています。

それは、勉強熱心なセラピストが多いためだとも考えています。

しかし、生活するのは本人とそのご家族なのです。

入院中はあなたが毎日関わる患者さんであっても、退院したらその人の生活があるのです。

ぜひ、そのことを考慮して、退院後の生活を患者さんと一緒に考えていただければと思います。





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まじい@マジメな理学療法士・公認心理師
読んでくださってありがとうございます。 いただいたサポートは今後の勉強、書籍の購入に充てさせていただくとともに、私のやる気に変換させていただきます。