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現象を言葉に当てはめるのが危険な理由

Twitterでよく見かける言い回しとして、

「〇〇という現象に名前を付けたい」

「この現象に誰か名前を付けてほしい」

というのがあります。

個人的にはおもしろいので好きな言い回しです。

しかし、マジメに考えてみると、何にでも名前を付けてしまうのはあまり良くないよなぁ、と思ったわけです。

現象に名前を付けてしまうことがどういうことなのか、何が良くないのか。

先に結論から書くと、現象に名前を付けることは、次の2つの問題を生じる可能性があると考えます。
1.言葉が現象をそのまま全て説明することはできない
2.言葉の解釈は人によって異なる可能性がある

今回はそんなことを書いていきたいと思います。

この記事を読むと、
●現象に名前を付けることの危険性がわかる
●目の前の現象を既存の(名前の付いた)現象に当てはめることの危うさがわかる
●目の前の現象をその現象のまま捉えることの必要性がわかる


言葉はどのように作られたのか

そもそも、言葉はどのように作られたのでしょうか。

そして、言葉とは何なのでしょうか。

以前の記事でも書きましたが、ソシュールは「言語は記号である」としています。

(音声)言語もしくは言葉というのは、人間が抽象的な概念や思考を他者に伝達するために作られたものです。

あくまでも言語・言葉というものは人間によって作られたものであり、ソシュールの言い方を借りると、『恣意的』なものです。

つまり、ある名詞(例えば「りんご」)と目の前にある物体(丸くて赤い果実)との結び付きというのは人間が『恣意的』に決めたものであり、そこに必然的な結び付きはない、というのがソシュールの言語に対する考え方です。

ソシュールはなかなか極端な人だったようで、ソシュール以前の哲学を全て否定しました。『恣意的』な言語を用いて思考されたものには意味がないと考えたからです。

その後の世代で言語というものと人間の認知の本質的な結び付きが明らかにされてきており(認知言語学)、言語はソシュールが考えたほど『恣意的』なものではないということがわかってきていますが、言語が記号にすぎないということは変わりない事実だと考えられます。

つまり、言葉とは人間同士が共通認識を持てるようなルールとして作られた記号です。

何かを表す単語は、多くの人間が共通の認識を持てるからこそ言葉として成立するのであって、その単語自体が物質や概念を本質的に表現できるわけではないのです。


現象に名前を付けるということ

ここまで書いてきたように、言語というのは共通認識を可能にするためのルールとして定められた記号です。

『〇〇という言葉は〜〜という現象を説明する』というようなルールですね。

では、冒頭の「〇〇という現象に名前をつけたい」というのはどういうことなのでしょうか。

目の前にある現象、頻発する現象に名前を付けるということは、その現象の特徴的な部分を抽出し、複数回確認されている同様の現象の共通した部分に名前を付けるということです。

目の前の現象全てを言葉で言い表すということにはならない、ということです。

理学療法士には馴染みの深い『膝折れ』という現象がありますが、これも「膝が折れる」という目に見える現象のみを表したものであり、本来の現象を全て説明することはできません。

例えば、『膝折れ』が生じる場面は様々なはずですが、そこに関する情報は全て捨て去られます。

『膝折れ』が生じる際の他の関節の情報も全て捨て去られます。ゆえに、『膝折れ』という言葉を聞くと原因は膝にあるように考えてしまいがちですが、実は股関節や足関節に問題がある場合は多いです。

『膝折れ』という現象という意味では、それが生じた本人にとってどのような現象なのか?という点も全て捨て去られます。「膝が曲がった」と認識している人もいれば、「足の力が抜けた」と認識する人もいるはずです。「体が落ちた」というように認識している人もいるかもしれません。

そういった個別性、本人にとっての現象というものを全て捨象し、目に見える現象だけを説明する『膝折れ』という言葉を使って、

PT「膝折れしましたね〜」

なんて言うわけです。

すると本人は全然違う認識をしていたにも関わらず、「あぁ、いま自分の膝が折れたのか」と思ってしまうわけです。

ここに、現象に名前を付けてしまうことの危うさがあると考えます。


同じ言葉でも人によって解釈が違う

先ほど例に挙げた『膝折れ』ですが、人によって解釈が違うと思いませんか?

理学療法士になったばかりのAさんは、『膝折れ』が生じたと聞くと、「膝が曲がってしまったんだな」「膝の筋力低下が原因かな」というように考えてしまうかもしれません。

しかし、それなりに経験を積んだ理学療法士のBさんは、「膝が曲がったのはどのタイミングなのか?」「筋力低下なのか、出力のタイミングなのか?」「そのときのアライメントはどうだったのか?」など、多くの可能性を考えます。

AさんとBさんが用いる『膝折れ』という単語は、果たして同じ意味を持っているのでしょうか?

Bさんが様々な可能性を含んだ『膝折れ』という言葉を言ったとしても、Aさんにはほとんど伝わらないかもしれません。

何でもかんでも現象に名前を付けてしまうということは、このような危うさがあるのです。


まとめ

現象に名前をつけること、現象を言葉に当てはめてしまうことの危うさについて書いてきました。

言葉というものの性質、その不正確さや、言葉にしてしまうことで捨象される現象の多さをご理解いただけたでしょうか?

言葉というのは人間にとって非常に便利なツールです。

言葉がなければ人間社会も成立しないと言い切れるほどです。

しかし、その言葉を過信すると、様々な問題が生じてしまいます。

目の前の現象を全て言葉に置き換えてしまうのではなく、言葉は言葉、現象は現象、くらいの心構えで現象の解釈に向かうべきなのかな、と思います。

少なくとも理学療法士は、目の前の現象をできるだけそのまま詳細に分析し、現象を名前に当てはめるのはその後の説明のときくらいにした方が良いのではないかと考えます。


より深く学びたい方へ

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非常に分厚いですが、項目毎に14章に分かれているので、必要なところから読めると思います。
言語から脳の中を探ろうと考える方は必読です。
言語の成り立ちから理解できると思います。


おわりに

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まじい@マジメな理学療法士・公認心理師
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