優しさを押し付けないで
おはようございます。
雪も溶けてきましたね⛄
これまでの経験から
学生、そして医療現場にいたときには「麻痺」や「ハンデ」を無くしたいという思いでいました。
生活を送るうえで「阻害因子」となるものを無くせば、色んな人のためになると思っていました。
でも私一人が行動しても「結果」を出すことは難しい。
時間も足らない。
その思いは募り、臨床よりも研究のほうがより広域の人のためになるのではないかと考えました。「阻害因子」となる要因を根本的になくせばいいんじゃないのかというシンプルな思いがこみ上げてきました。
しかし、そんな単純に物事は行くわけもなく、私も人間なので短いスパンにあらゆる環境・状況に置かれ、思いは変化しました。
「生活」が人を作っていることに気付きます。
医療現場で働いていると、ある程度のレベルまで病院で治療したらその後は家なり施設なりに移動します。
ほんの少しの期間の内に、症状や状態が良くなる人もいればそうでない人もたくさんいます。病が人生を変えることもしばしば目にしました。
生活をいかに気持ちよく送ることが出来るか、身体機能や精神機能の改善や機能向上をするためのリハビリももちろん大切です。人が変われば、生活も大きく変わります。
けれど、いくら機能が改善したって背景因子や環境によって逆に生活が良くない方へと変化していくことも多々あります。
環境を変えていく必要があることに気付きました。
そして家や家族という単位ももちろん、建築や作業療法という力で変えていけます。
もっと大きな単位の地域とか社会を住民の思う良い方向に動かしていくこともとっても大切だと思うようになりました。
優しさを押し付けない
しかし地域とか社会は目に見えません。
いくら動いてもキリがないくらい大きな見えない存在です。
例えば一つの事業が上手くいったとか、いくら活動しても、活動のない日とか隣の地域とか住民の移動とか…終わりはないのです。
地域には人々の生活があるから、一人の考えや決断で物事が決まることはないですし、多方面への配慮をしなければいけません。
それと「優しさ」とか「思い」は時にあだとなることも頭の片隅に置いておかなければいけません。ね。
良かれと思ってしたことも、意外と喜ばれていなかったりします。
「自分事」として考えること、私が住民だからこそ常に頭の中に入れておかなければいけないことですね。心の奥にしまっておきます。
昨日はある地域の民生委員さんのミーティングにお邪魔しました。
高齢者の集いの場の継続について考えました。
誰のためにやるのか、なんでやるのか、集いの場があることによりどんな効果が生まれるのか、何が負担なのか。
地域の人だけじゃなくて、私自身も改めて考えるきっかけになりました。
お邪魔させて頂きありがたかったです。