5.コミュニケーションの「修業時代」
大庭葉蔵はコミュニケーションに対して倫理的であったろうか。大庭葉蔵はぼくなのだから、おそらく、その答えは「否」であろう。(「神様みたいに良い人1」)大庭葉蔵は上辺だけの甘い言葉並べ立てていた。しかし、小学校の友人である竹市と結婚相手のヨシ子にだけは倫理的であろうとしたーーと思いたいーー。
コミュニケーションの倫理。それは人間関係の中にある真摯さのことだ。相手の目を見て話す、聴く。当たり前のことが一番難しい。
生田Q蔵はみんなにとって「良い人」であった。しかし、その中でもQ