八方美人をやめるまで
小学校の頃、俗に言う「クラスカースト」たるものが存在した。カーストが下の方だった私は気の強い女の子たちと上手く渡り合えずいじめられたこともあった。はしゃいだり、面白いことを言うのが好きな私だったがどんどん静かになってった。
中学に進学した。私にも友人がいて、その子から吹奏楽部に入らないかと誘われ、入部。
あまり関わることのなかったクラスメイトも多く入部したが、友達も一定数いた上、優しい先輩が多かった為、部活内では素の自分でいることができた。そして、その様子を見たクラスメイトも素の私を見て、そんな私を受け入れてくれた。私の中ではそれが大きな出来事だった。
ありのままの自分でいればきっともっと多くの友達ができると、くすぶる心に火がついたのだ。
高校に入った。中学時代のことを踏まえてもっともっと友達が欲しかった私は、入学初日の自己紹介でおちゃらけキャラを発揮し、理想通り友達が沢山できた。しかし、この時はまだ気がついていなかった。この思いに「人から嫌われたくない」という感情が含まれていたのは。それに気が付いたのは社会人になってからだ。
そして、社会人となった私だったが、人間関係に恵まれなかった。嫌な店長・お局・小局(お局の子分みたいな人)がいるところに配属になった私。「あなたが嫌い」という感情をあからさまに浴びせる人たち。特にお局とはよくシフトが合った。仲良くしようと尽力したが、上手くいかなかった。とてもとても厚いバリアが張られている事に気づき、無駄だと思った。それでも私は仲良くしたかった。未だに、もっと話せていたら。と考えることもあるほどだ。
それからというものだ。転職し、高校の時から夢見てた企業に入社した。この会社では人に嫌われないように、負の感情を浴びないように。「どうすればこの人は私のことを好いてくれるか」なんてことも考えるようになってしまった。その結果、他の人の陰口を言われた時否定できず、そうなんですねとゆるく流すばかり。人の意見も否定しない。自分の意見が言えず頷くばかりになってしまった。同調こそ大事な事だと考えるようになった。休憩室で一緒になった人、エレベーターに同乗する人、仕事の空き時間もそこまで仲良くなりたいと思わない人にも声をかけた。
正直疲れた。疲れた私は誰にでもいい顔をすることを少しずつやめていこうと思う。
否定とか、嫌いとか。他人から刺されるそんな感情を横流しにできる強さをまだ持ち合わせてはいないけど、自分を殺してまで相手に好かれようと思いたくない。否定を恐れるから本音を言うことも苦手なんだ。そして、どんな人とも上手く付き合えるわけじゃないし、好きな人と深く交流して行きたい。世渡り上手もそこそこでいい。友達100人できなくていい。
他人は簡単に自分を否定するものだ。人の数だけ価値観があるから仕方の無いこと。
それを受け入れた上で、私は私を否定しない。
だから私は"前向き美人"を目指していく。
最高だ。と本当に思える人と富士山の上でおにぎりを食べに行ける人になれるよう、一歩ずつ自分を受け入れていこう。