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何のために生まれて

忙しさが心地よくなってきた。
不思議な感覚。
忙しくないと落ち着かない。
共通テストあって、自己採点があって、これから面接!!

そういえば、何をすればいいのか分からないときのほうが苦しかった。

高校2年まで自分が将来何をしたらいいのか分からなかった。
得意だった勉強も高校から苦手になったし、
みんな友達とわいわいしてたのに、私は友達がほぼいなかったし、
みんな当たり前のように恋愛してたし、
みんな毎日楽しそうに部活してたし、

みんなと違う自分が嫌いで嫌いで仕方なかった。
どうして私はみんなと違うんだろう。
自分には何ができるんだろう。何もできることないや。

どうでもいい。もう一生、アルバイトするか引きこもりでもしようかな。
って投げやりになってた。

担任の先生も「この子はどうしようもないな」ってことを言ってたことは忘れない。

今は教育学を学びたいと思って、勉強を頑張っている。
すべてが思い通りになるような高校生活ではなかったけど、
今は仲がいい友達が何人かできたし、
それなりに部活も熱中して取り組めたし、
結構、満足している。
先生も今は少しだけ安心している。

何のために生きればいいのかが分かるっていいな。

でも何のために生きるのかを考えすぎることは良くないらしい。

たしかに、その人生でないとだめだと縛り付けてしまう気がする。
目先のことを考えられなくなる

例えば、大学受験。
「絶対A大学に合格するぞ。」という目標だったら、高校生活を友達と楽しむことを忘れて、勉強に打ち込んでしまうだろう。
また、A大学に不合格になってしまったら、今までの努力が何のためだったのかが分からなくなる。
一つの夢として、目標を決めるのはいいが、もっと夢は抽象的に。
叶ったらいいなあ。叶わなくてもいいけど。
くらいの気持ちでいるのがいいかもしれない。

他には、私は演劇の大会。
「優勝したい」っていうのが目標だったから、
優勝するまでに、部活中に練習すること以外の時間がすべて無駄に見えた。
例えば、部員同士でくだらない話をする時間。仲良くして信頼関係を築くことも大切だったのに。
しかも、”演劇をすること”をあまり楽しめなくなった。
こうしたら審査員や観客の人に感動させることができそうってことばかり考えてた。
そしたら、私が他の役者との関わりの中で舞台上で生きるべきなのに、一人だけ浮いていて、感動を押し売りするような演技になってしまった。
他校の上演は、どうやったら自分たちが楽しくなるか、さまざまな工夫をしていて、部員全員が演劇を楽しんでいた。

あとは人生。
何のために生きているんだろうって問いはたくさんの人が考えていると思う
私もよく考えてしまうが、考えれば考えればネガティブになっていってしまう。だって、どうせ死んでしまうんだもん。
以前、自分なりの答えを出したことがあったが、やっぱり死は終わりなんじゃないかとも思う。
何のために生きるかとか、深く考えちゃいけない。


木を見て森を見ずならぬ、森を見て木を見ず状態
目の前の幸せは見つけていかなくちゃいけない。
小さな幸せはたくさんある。
探しているか、探していないかの差は大きい。

とりあえず、今は自分が挑戦したいことができている状況に感謝したいと思う。受験終了まであと少し頑張ろうと思った。

おわり


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