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ワーママの試行錯誤②プチ家出と自我のいたわり
私は現在うつ病で休職中の一児ワーママ。閑話休題のワーママ生活振り返りである。
思い起こせば、出産して以降、家でも仕事でも「自分の欲求」には蓋をして、「他者の要求」を叶えてばかりいた。
出産して3年、復職して2年程経つ頃、その衝動は急激に訪れた。
「プチ家出」である。
経緯を記していきたい(深刻な話ではないので気軽にお読みください)。
自分の欲求が満たされる時間をください
育児に追われていると、自分の欲求は後回しにならざるを得ない。
0歳台などは特に、「やっと子どもが寝た!」とつかの間の自由時間ができても、「食事」「トイレ」「家事」「睡眠」「娯楽」「生活必需品の入手(ネットショッピングとか)」「育児情報リサーチ」、うち実行できるのはせいぜい3つ、さあどれにします!?みたいな選択をしなければならないことが多い。うっかり「娯楽」を選択すると後で生活が詰む。当時はシミュレーションゲームみたいだな、と思っていた(現実である)。
娯楽欲求もさることながら、睡眠欲求の解消されなさは更にまずかった。
産後、夜間授乳や夜泣きにより自分の睡眠欲求は常に満たされず、子が生まれてから初めて朝まで寝たのは生後10ヶ月のときだった。人間って短時間睡眠×∞セットでも生命維持はされるんだな、ということを、慢性的な睡眠不足で気が遠くなりながら初めて体感していた。短時間×∞セット、例えば生後3ヶ月頃までの間隔なら3時間×約720セットですな。これを繰り返していると日にちの感覚がなくなり簡単に気が狂うのである。
世の中の親たちこれを平然と乗り越えていたのか……人間でき過ぎじゃないか?
もっと世に訴えてくれててよかったんやで……と他力本願なことを思った。
今思えば当時は自分がロングスリーパーであることに自覚がなく(現在も8時間睡眠が取れて初めて「不調じゃない」コンディション)、その睡眠時間が確保できない乳児期の育児は常に黄色信号だったのだから、もっと意識的緊急的に多少の金銭を支払っても、睡眠不足をまめに解消すべきだった。
でも親が夜間の睡眠確保するための支援、ほぼない(産後母子ケアは利用した。生後4ヶ月で利用資格が終了し絶望した)。
夫に子どもを任せて自分は別室で寝ることはできたが、何故だか勘付いた子どもが起きて母を呼ぶので呼び戻されることになった。
夜中に起きて鉛のように重い身体に鞭打ち何度もミルクを作りながら、
「今すぐここを飛び出して近隣のホテルに泊まって一晩通して寝たい」
と幾度思ったかしれない。
しかしまさか自分だけそんな贅沢はできない、とその蠱惑的な欲求は数年胸に秘められていた。
誰にも要求されない時間をください
復職してからは職責としてメンバーのフォローも加わり、何やかやと呼ばれてはいろんな問題を解消して回っていた。
頼りにされることが嬉しかったものの、数年かけて徐々に自分の仕事が進まないことに焦燥といら立ちの感情が芽生えていった。
同時に家庭では、成長する子どもからの要求も年々増していった。私は低空飛行省エネペアレントを自称しているので、自分の精神の平穏を保つために、他者に害のないことなら、あえて戦ってまで子どもの要求を跳ねのけることは多くなかった。
睡眠に関しては、子どもが夜中に起きることはなくなっていたが、添い寝形式の我が家では私のベッドに子が垂直に乱入してくるため、いつも体をよじらせながら寝ていた。また子に蹴られてよく目が覚めてしまっていた。
そんな状況が復職して数年続いた。
気づいたら職場でも家でも「自分をおさえて誰かの要求をひたすら叶えて回るマン」と化している自分がいた。
食べたいものが分からない
復職して2年半ほど経ったある日、職場で昼食をとろうとして気づいた。
空腹だが、何一つ食べたいと思うものがない。昼は持参していなかったので、食堂かコンビニの二択なのだが、何を眺めても自分が食べたいものが何か分からなかった。
そこで初めてそんな自分に疑問を覚えた。私の好きなものってなんだっけ?なんでこんな服着てるんだっけ?そもそも何でこの職場にいるんだっけ……?自分の自我、どこ行った?
その晩、夫にようやく長年秘めていた計画を打ち明けた。
「ちょっと明日、一晩家出してきます」
夫は驚いていたが、二つ返事で快諾してくれた。
こうして、①事前許諾あり②行先・期間明示 という、グレきれない自分によるプチ家出計画が敢行されることになった。
一晩だけのバカンス
宿泊先はごく普通のビジネスホテル。
平日に敢行することにしたため、職場の帰りにそのまま直行した。
チェックイン前にドラッグストアに寄り、パックや良い香りのハンドクリーム、着色しない入浴剤を購入した。
チェックインして自分一人のためだけのベッドを眺めたときの多幸感といったらなかった。今晩は少なくとも体を真っ直ぐにして寝られるし、これから寝るまでの時間は全て私のものである。
夕食は外に繰り出し子連れでは行きにくいお好み焼き屋に行った。夜に一人で出かけていること自体がコロナ禍前ぶりだったため、とても楽しかった。
ドラッグストアで買ったご自愛グッズでボディメンテをして、その晩ようやく、産後焦がれていた「朝まで一人でゆっくり眠る」が叶ったのであった。
自我の回復
翌朝、驚くほど心穏やかだった。
ホテル併設のコーヒー店で朝食をとりながら、自我の回復をしみじみと感じていた。
今より若い頃は一人旅が好きだった。自分で行き先や食べるものを決めないと始まらない旅。大人になり、親になり、いつの間にか生活には「今日は何する?」という選択の余地が少なくなっていた。代わりに膨大なTODOが積み上がっている。
一人旅のように毎日、一日をアレンジするのは大変だけど、これからは自分のやりたいこと、食べたいもの、気になったことや嫌なことにもう少し関心を持ってあげようと思った。それを損いすぎると、食べたいものも分からなくなってしまうから。