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「のうん展 known:unnown(2/13-16)」🎨~無名の私が抽象画個展の開催に至るまで、そしてこれから【前編】~
1.ご挨拶
はじめましての方ははじめまして、私は”のうん”という名義で活動している者です。よろしくお願いします。
オイルパステルをメイン……というか自分にとってのほぼ唯一の画材として扱い、アファンタジア(※別記事参照)的な特性を抽象画の創作に取り入れた、多分一応画家です。
今回の記事では先日行われた私の抽象画企画展(個展)
「のうん展 known:unnown」
場所:秋田市アトリオン2F美術展示ホール
日時:2/13(木)-2/16(日) 10:00-17:00
の開催経緯と実際の展覧会の様子、そして今後の創作活動について書いていきます。
前後編予定、長くなりますが最後までお付き合いいただけますと幸いです。
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のうんの来歴(展覧会でのキャプションと過去記事)
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ご挨拶と今日までの創作活動に関して
note投稿自体久しぶりになります。今回の記事ではその空白期間で何をしていたのかも含めたお話を書いていこうと思います。実際の絵画なども添付させていただきますので、最後までお付き合いいただけましたら幸いです
さて、私は夏ごろから今日までにかけて、note投稿を控えていたわけですが、その裏では抽象画と小説の2軸での創作活動を行っておりました。
小説に関してはこの場では割愛させていただきますが、全く別の名義で投稿サイトでの定期・不定期的な投稿と公募、一部同人脚本案件などをメインで活動しています。この経験は、後述する絵画の方向性にも相互作用として活きてきます。
そして、直近での”のうん”名義での主軸的活動となったのが、今回の「のうん展」を目掛けた抽象画創作であり、その為に行っていたのが自身の深層心理へひたすらに潜るということでした。
そんな自分自身の創作に対するスタンスの転換点となったのが今回の個展であり、その最大の後押しをしてくれたのが、秋田県の若手アーティストの企画展を支援する枠組み、「アーツアーツサポートプログラム」でした。
さて、次の項目では、その「アーツアーツサポートプログラム」とはなんなのかについて触れていきます。
2.アーツアーツサポートプログラム(秋田県)について
プログラムに関して
この展覧会は、秋田県のアーツアーツプログラムという若手アーティストを応援するための枠組みの中で行われたモノで、のうん自身も応募書類と未熟なポートフォリオを片手に面接を受けるところからスタートしました。
結果として、ある意味ダメ元のような気持ち(ダメなら当面は筆を折ろうかと思っていました)で受けたそのプラグラムに、私という無名のアーティストが救い上げてもらうような形になりました。
そうして私は抽象創作活動に本腰を入れていくことになり、その過程において、会場の費用・準備面や絵画制作へのアドバイスなど、多岐に渡る部分において様々な方々からのご助力を受けることが出来ました。
プログラムに含まれる内容に関してもそれ以外の部分に関しても、関係してくださった方々へは、幾ら感謝をしても感謝しきれないくらいの恩を感じております。本当に、ありがとうございました。
このような不世出のアーティストを世に送りだしていただけるプログラム(或いはプロジェクト)は、自分のような完全無名の独学者や情熱を燻らせざるを得ない県内在住のアーティストたちにとっては、正しく迷宮に垂らされたアリアドネの糸にも等しいものであると、そう強く思います。
プログラムへの参加が決まってから
……さて、そのような経緯で2月開催予定の展覧会への準備を進めていくこととなったのですが、以前までの別記事でも書いたように、私は休職→退職時から(3月~夏ごろまで)体調が全くといっていいほど安定しませんでした。
それは、前述のプログラムの面接に行けたことさえ奇跡だと感じるほどで、当時の五体は鉛そのもののように地べたから這い上がることを許さず、内心の自己嫌悪は自縄自縛の様相で私の活動を妨げ続けていました。
展覧会の開催が決まった夏ごろから10月頃までは更に不調が極まり、絵と中々向き合えない・人とも会えない期間が続きました。
そんな中でも、県庁の担当の職員さんや絵画アドバイザーの山本先生は諦めずに私と関わり続けてくださり、10月末にようやく部屋から這い出して向かった面談から全てが動き始めることとなりました。
そしてその日から、絵画アドバイザーの山本先生(山本丈志先生)から制作中・制作以後の絵に関して都度都度アドバイスを貰いつつ、体調的な部分と体力的な部分での時間的制約の中での創作活動に命らしきモノを燃やし始めました。
プログラムに関するキャプション
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3.体調の改善と色調や線の転換点
体調の改善
さて、そんなこんなで企画展まで残り4か月といった所から私の抽象創作活動は本格化をしていったわけですが、ちょうどその時期に転院やらなにやらが重なり、体調の改善+脳の靄が晴れる時間帯が少しずつ増えていきました。
幾ら靄がかった脳が晴れても、案の定何の映像イメージも湧いては来ないわけですが、逆に正常に戻っても映像がないならやっぱりソレがデフォルトの状態なんだという確信を得ることに繋がり、必ずしも異常な状態ではないという安心感とそこから連鎖する安心感を手に入れることが出来ました。
とはいえ、体調的な鬼門である冬の訪れも伴い、実際の制作の進行は非常に遅々たるペースで進んでいきました。
それでも、展覧会というゴールを目指してキャンバスと向き合い、血反吐を吐くのと近しいような気持ちでパステルを擦り続けました。
結果として、徐々に改善していく体調と制作ペースの向上がリンクし、到底間に合わないと思われていた各作品が徐々に徐々に仕上がっていき、奥さんを伴わない外出としては唯一となる山本先生の元への作品持参と画像送付を重ねていくことが出来たのです。
不調時の作品群(2作抜粋)
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秋も深まるまで実際頭痛が酷く、そんな耐えがたい痛みをそのまま描いた絵です。
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これもタイトルのままですね。
立つのもままならない、吐き気と眩暈を絵にしました。
訪れた変化
そうして現実における光明が見え始めたところで、自分自身が描く絵の色調にも変化が発生し始め、パステルカラーや暖色を中心とした明るい色合いの作品が増えていきました。
これは、昏い感情ほど明るい色でという創作テーマの一環でもあり、自分のナカへと潜水していく中で見えたどす黒いナニカと対面した際、それをそのままの状態で出力をするのではなく、あくまで希望を齎すモノとしての出力をするという試みでもありました。
それは、拙作においては「かいぶつ」であったり「にくのほしぼし」であったり、或いは「息苦しさと生きぐるしさ」の右側であったり、心のどす黒い穴から漏れ出した抽象としては些かばかり綺麗な色の作品群になっているような次第です。
決して自画自賛ではなく、汚い色になるはずの抽象が最終的には色鮮やかな色を帯びている様を見ていると、自分の本心は自身の精神や外界への汚辱より、本質的には綺麗なモノこそを求めているのだと気付かされてしまった、ということにもなりますね。
そこに、山本先生が粘り強く伝え続けてくださった、繊細さや丁寧さを作品の理性的な部分として徐々に自分のスタンダードとして脳になじませていき、本能と理性のコンフリクトとそれによるコントラストは新たな作品と自分像を生み出していきました。
具体例の作品3作(「かいぶつ」「にくのほしぼし」「息苦しさと生きぐるしさ」)
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心の穴から漏れ出した”怪物”を構成する組織群のイメージ。
個人的には少し気に入っています。
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自分的には珍しく、要素の引き算で生まれた作品。
白い下地を削っているのは、決して綺麗なだけではない心の地肌のイメージ。
そしてパステルはソコに空いた肉の穴、或いは瘡蓋を剥いだ痕で出来た架空の星座。
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秋田魁新報様にも載せていただいた作品。
展覧会に向けた制作の始まり(左)と終わり(右)の作品。
左は這って布団から出ないと絵が描けなかった時期の、絶望感と希死念慮を封じ込めるイメージ。
血管であり蟲であり膿であり、それらを押し留めるあばらでもある。
正しく、入り口。
右は一転して絵を描く悦びに目覚め、新たに芽生えた心象とこれまでに培った描き方で、鬱屈した左側の感情を弾けさせるイメージ。
正しく、出口。
4.小説執筆と抽象の輪郭
小説執筆について(別名義のため詳細割愛)
本当に詳しくは割愛しますが、脳の状態が停滞もしくは切り替わるタイミングで絵を全く描けなくなってしまっていた時、自分はとあるジャンルの小説執筆に傾倒しておりました。
それは、ここで内容を書くのは避けたい、ある意味では自分の赤裸々な心そのものを映し出す鏡のようなものでもありました。
累計でかけた時間で言えば絵画の執筆時間以上であった小説創作の時間、その間にも脳の滞留物として抽象的な創作願望は鬱積し続けました。
そして、結果として後々の創作意欲の爆発に繋げることが出来たのではないかと思います。
抽象の輪郭
文章を延々と紡ぎ続けて思ったこととして、自分の場合は文章執筆と抽象的な絵画創作には密接な相互作用がある、というモノが挙げられます。
小説を書いている間には自分の内心奥深くに潜ることができ、それは絵を描けるようになってからの線の明確さや色として現れました。
また、抽象画を描いている間には自分の脳の中の言語野らしきモノが活発化し、抽象と文章の間のバイパスが繋がって行くような感覚を得ることが出来ました。
そうして辿り着いたのが、自身の創作の方向性。
或いは、新たな人生の出発点とも言える……↓
”心の輪郭やその中身・文章的感覚そのものを絵画にする”
というスタンスそのものでもありました。
前述した3作は、個人的にその心の輪郭の要素が強い部類のモノです。
絵画に落とし込んだ文章的なイメージとしても、特に自分の深層心理のナカで色濃い部分を描き出したつもりです。
その心の輪郭というのがどうやら自分の創作においては中核となるモノであるようで、輪郭の奥深くの澱みに潜るような創作は苦しさと共にある種の心地よさを与えてくれて、抽象画におけるスクラッチや執筆におけるタイピングで悲鳴を上げる指先の熱量と一緒に、自分に確かな生の実感を齎しました。
そうして、より深く自分自身に潜行できるようになったことで、今まででは見つけることの出来なかった本質的な部分を絵にすることが出来るようになり始め、そんな新たな創作意欲の脈動が今回の展覧会での作品群の誕生に繋がってきます。
5.最後に(後編へ続く)
……そんなこんなで結構文字数行ったので、残りは後編に続きます。
次回は後編、いよいよ展覧会本番のお話(今回載せた作品以外にも作品画像多数)と今後に向けたお話も書いていきます。
展覧会の本番部分に関しては、この個展を通して・自分の創作を通してどのようなメッセージを伝えていきたかったのかについてもフォーカスしていきます。
後編の投稿は間を空けず、金曜夜までには行いたいと思います。
展覧会を終えて残った熱が醒めないうちに、感想を記事としてのカタチで残しておきたいのです。
それでは、ここまでお付き合いいただいた読者様方、是非次回でもお会いしましょう!