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歴史

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歴史に関する記事のまとめ
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記事一覧

あをによし~奈良へ③ 聖徳太子の法隆寺 王家の断絶

 法隆寺は奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの寺として知られる。JR大和路線法隆寺駅…

REG
14時間前
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あをによし~奈良へ② 興福寺の光と影

 南都六宗の法相宗の大本山、興福寺は近鉄奈良駅の東、歩いてすぐの場所にある。この寺の絶頂…

REG
1日前
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あをによし~奈良へ① 奈良公園と鹿と春日大社

 奈良県庁を東へ進むと右に興福寺、左に東大寺、そして奈良公園へと入っていく。平安時代から…

REG
4日前
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京都 大原 三千院

 京都市左京区の北東、比叡山の北西の麓にある大原盆地、山に囲まれた田園風景が広がっている…

REG
2週間前
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日本史における84年の奈良時代⑦最終章  ★桓武天皇のさらば平城京 

 奈良時代最後の桓武天皇は、称徳天皇崩御により父親が急遽光仁天皇として即位するが、母が百…

REG
3週間前
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日本史における84年の奈良時代⑥藤原仲麻呂の最後と称徳・道鏡の企み

 孝謙天皇は退位しても影響力は衰えない。藤原仲麻呂は太政大臣となり、意のままに淳仁天皇を…

REG
3週間前
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日本史における84年の奈良時代⑤藤原氏を再興させた冷血漢 藤原仲麻呂

 奈良時代の重要なキーマン女帝孝謙天皇が即位すると、藤原四兄弟の武智麻呂の次男、藤原仲麻呂が参議から大納言に大躍進。孝謙の母であり叔母でもある光明皇后の後ろ盾もあった。仲麻呂もかなりの切れ者なのだが、聖武天皇の第二皇子安積親王の暗殺や政敵橘諸兄の失脚など黒い噂がいろいろある。752年に東大寺の大仏開眼供養が盛大に開催されると、その日から孝謙天皇は内裏でなく仲麻呂の私邸に入り浸る。意味が分からない。  聖武上皇が崩御すると、仲麻呂は自分の亡くなったの息子の嫁と大炊王を結婚させて

日本史における84年の奈良時代④相次ぐ女性天皇の即位と藤原氏の浮き沈み

 不比等の息子達、藤原四兄弟は長屋王を引きずりおろし、9人の公卿のうち4人を兄弟で占め、8…

REG
4週間前
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日本史における84年の奈良時代③ 長屋王の変 藤原氏VS皇族

 この時代に藤原氏は勢力を拡大するが、反藤原氏との激しい政権争いを繰り広げる。  逝去に…

REG
1か月前
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日本史における84年の奈良時代② 南都六宗は花盛り

 奈良時代は日本が国家として確立していく重要な時期である。蘇我氏と聖徳太子の改革、大化の…

REG
1か月前
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日本史における84年の奈良時代① 聖武天皇と遷都

 奈良時代は、710年平城京に遷都してから、794年に平安京に遷都されるまでの84年間なのだが、…

REG
1か月前
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イエス・キリストの生涯に想う

 私は特定の宗教を信仰しているわけではない。保育園は近くのミッション系、大学は構内にチャ…

REG
1か月前
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日本史における約400年の平安時代

 私はこの時代にあまり馴染みがなかった。平安時代のイメージというと貴族と十二単と和歌など…

REG
2か月前
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涼しくなったら奈良へ出かけたいっ!旅のプランニングは楽しい

  夏の間はあまりの暑さに出かける元気が出ない。しかも強力な台風がうろうろしているので交通機関もいつどうなるかわからない。こんな時はのんびり次の旅のプランを考えて楽しむに限る。  日本の歴史を訪ねる旅をしたい。昨年、伊勢、京都へ出かけていにしえに思いを馳せることができた。やはり日本のルーツを辿り始めると奈良は外せない。奈良県はそれほど広くないが、南部は山岳地帯が多ので冒険はしたいが危険は避けたい。しかも私は車の免許がないので、徒歩と自転車、公共交通機関で組み立てなければなら