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若さゆえに支援に苦しむ方へ 〜無知の姿勢の紹介〜
Re-Fukushiでは、ソーシャルワーカーのキャリアについて考察しています。
今回はその中でも、
若さゆえに支援に苦しむ場合について、考えてみたいと思います。
私の若い時代
私は大学卒業後、病院のソーシャルワーカー(Medical Social Worker,MSW)になりました。
MSWは、ケガや病気を抱える患者が地域や家庭で生活できるように、社会福祉の立場から相談援助を行う仕事です。
病院にいる福祉相談員と表現すると1番分かりやすいでしょう。
大学卒業後の年なので、当時22歳でした。
私が勤務していた病院は、医療療養病棟という急性期治療を終えた方が引き続き治療及びリハビリを受ける機能の病院で、入院患者の9割は高齢者でした。
自宅退院と同じくらい死亡退院も多く、今後の暮らし方や人生のしまい方について相談援助を行うことが多かったです。
22歳の私が高齢者の相談にのる…?
社会福祉士・精神保健福祉士の資格を所持したMSWといえば立派に聞こえますが、22歳の私は社会なんてよく知らない半端者でした。
そんな人間でも、請け負う相談内容は多岐にわたります。
・認知症の母が自宅で1人で過ごせるには?
・施設に入れたいがおすすめを教えて欲しい
・お金がなく、退院後の生活が苦しい
・これ以上面倒を見れない。
・医師から経管栄養の説明を受けたが、心の整理がつかない。
・亡くなることが怖い
などなど。
自分の3倍、4倍生きている方の支援をする…なんだか壮大な話です。
荷が重いなあと当時は思っていたものです。
若くて頼りないから、担当を変わって欲しい
それでも私は、院内外で学びを積みながら経験を重ねていきました。
時には、患者さんやご家族から感謝の言葉をもらい、やりがいを感じたりもしていました。
初めて迎えた冬でした。
当時、高齢者ばかりの私の病院には珍しく、事故で身体障害を負った方がリハビリで入院され、私が担当になりました。
私も初めての障害の方のケースで、復職も視野に入れた方だったので、気合いを入れて接していました。病室に足繁く通い、復職のためのいろいろなプランを提案したりしていました。
しかしある日、その方のご家族から
"私たちにとってあなたでは若くて役不足。担当を変えてほしい"
と告げられました。
その場面では上司同席のもと謝罪し、担当交代に至りました。そして退席した後、悔しくて初めて職場で泣きました。
若いだけが理由なのか
その日から色々内省してみました。
何がいけなかったのか。
年齢、それだけなのか、と。
確かに他の方のケースでも、若さを指摘されることはありました。
ただ、私はむしろ若さを武器に、フレッシュに支援にあたっていました。実際若いんだからしょうがないと。
しかし今回の場合は、
"若さゆえに走りすぎてしまった"
ことが原因にあると考えました。
初めての障害ケース、初めての復職支援。
患者さんから希望もされていないのに色々な話をしにいった記憶があります。
つまり相手のペースに合わせられなかった、ということ。
ソーシャルワークの根本を見落としていたのだと思います。
若さで悩む時は、年齢以外の要素にも目を向けて見よう
22歳の私のように、何も分からない中で人生の大先輩方およびそのご家族の支援を行うことに悩み苦しむ方は多くいらっしゃると思います。
とても担えない、自信がない、分からない…不安は大きいものです。
そんな時は、"堂々と分からない姿勢をとる"ことで色々なことが見えてきます。
分からないからこそ、先輩に聞く。患者さんに聞く。他職種に聞く。何かに学ぶ。
こういった姿勢が取れるのではないでしょうか。
ソーシャルワークにはナラティブ・アプローチという理論、方法があります。
これはソーシャルワーク史上初めて"専門性を捨てる"ことによって本当の意味での支援ができると説明したものです。
専門性を捨てるとは、私たちソーシャルワーカーが専門家ではなく、「クライエントこそが専門家である」という姿勢をとることです。
これを、「無知の姿勢」と呼びます。
年齢でつまずくとき、自分を大きく見せようとしていないか振り返ってみてはどうでしょう。
知識や経験がないといけないと思い込めば思いこむほど、相手を見失ってしまうものです。
何が本当に大切なことか、お互いに気をつけながら、ソーシャルワークを学んでいきましょう。
ご拝読ありがとうございました。