【東かがわ市】第1回 引田城戦国お城まつりが2022年5月29日に開催!
【東かがわ市】第1回 引田城戦国お城まつりが2022年5月29日に開催!
🟣第1回 引田城戦国お城まつりが5/29に開催
引田城は高松城や丸亀城と同じく生駒氏時代の城だが1615年の一国一城令で廃城になった後、いつ取り壊されたかは不明、400年間、歴史から消しさられた存在だった。
現在は国の史跡に指定😃
●スケジュール詳細
https://www.higashikagawa.jp/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/gyomuannai/8/1/3768.html
10時 〜 11時: 武者行列
11時〜 11:30:開会式
11:30 〜 13:15: 柳生神影流兵法術虎武、相撲甚句、甲冑阿波踊り
13:15 〜 14:15 ゆりり (歌謡ショー)、FUN(創作ダンス)
14:15 〜 14:45: 十河城鉄砲隊 14:45 〜: 閉会式
●5/29 同日、チャンバラ合戦in引田城ー歴代城主最強決定戦ーも開催される
●梅田、難波、三宮から引田まで高速バスで2〜2.4時間、バス停から徒歩で「つばさ交流センター」まで2.6Km、35分
●車だと大阪駅から淡路島経由で引田まで約2時間
●引田の概要
引田には明治時代まで浜辺に塩田が広がっていた。
塩田は1587年、豊臣秀吉 から讃岐一国を与えられた 生駒親正 が兵庫県の赤穂から引田に連れてきた製塩技術者に造らせた。塩は醤油醸造の原料ともなった。引田に多い永峰姓は永塩氏が帰農して塩を「峰」と改姓したと伝わる。
●引田城は400年間、歴史から忘れられていた幻の城だった😃
生駒親正が1587年に入城するまで 加藤清正 が代官として臨時に統治。当時、清正公が領主となっていれば讃岐はどうなっていただろう?
●東かがわ市 引田は「讃岐のエジソン」 久米通賢 の墓所がある。
伊能忠敬 よりも早く、日本初の実測地図を作り、塩田開発に私財を投じ藩財政を助けた。
火縄式銃を火打ち石式に改良したり、日本初の国産マッチを発明😃
生家跡↓
●戦後、東京ブギウギ を大ヒットさせた 笠置シズ子 さんは東かがわ市 黒羽の三谷家の生れ😃
瀬戸内寂聴 さんの父 三谷豊吉さんも黒羽出身 近くの相生出身で戦後初の東大総長、政治哲学者の 南原繁 翁が笠置さんの後援会長だった😃
美空ひばり さんは笠置さんの物まねをしていた💦
ミラクルひかる さんも笠置さんの物まねをする💦
●瀬戸内寂聴さんの父 三谷さんは徳島の瀬戸内家に養子に入る前は東かがわ市引田で和三盆の製造を家業としていた。
私の曽祖母も引田黒羽出身で、大伯母は寂聴さんと交流があった 寂聴さんの父上の墓所は引田の積善坊にある。
以上
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