交通弱者〜女子高生経済圏〜
新幹線の開通
高速道路の開通
女子高生のスカートの短尺化は
各地域に巨大なインパクトを与えてきた。
夜行列車で半日以上かけて移動していたのが日帰り圏内となり、
車社会の到来により、労せず中心市街地へ出ることが可能になった。
しかし、都会へ出るにも一苦労であった時代の名残を担っている存在がある。
女子高生だ。
※イメージ
これは、ある男が帰省のため新潟から都心へ向かう道中
上越線から新幹線を乗り継ぎ、高崎駅に降り立ったときの話である。
新潟から東京方面へ在来線で帰省中のときのこと
夜中のローカル路線。
新潟と群馬を結ぶ上越線は高校生で満ちていた。(上越線の路線図は下図の通り長大路線だ。)
友達と乗車するが、決して談笑するわけでもなく、
皆、思い思いに手元の光と対話している。
その風景は都会の疲れ切ったサラリーマンがスマホゲームに興じるのとなんら変わりはない。
彼らは乗りたくて、電車に乗っているわけではない。
それしか足がないのだ。
車に乗るための免許もなければ、新幹線に乗るための財力もない。
この上越線では、鉄道旅で有名な必ず越えなければならない難所がある。
三国峠だ。
ローカル線と書いた上越線だが、新潟方面から越後湯沢(越後中里)駅までは、意外に電車の本数がある。
しかし、その先は・・・・
越後湯沢発水上行きの電車が
なんと1日にわずか5本しかない。
さらに終電は18時を最後になくなってしまう。
交通手段が限られるということは、文化的交流が限られるということである。
つまり
この山を境に
お米文化圏(新潟)
と
甘辛ソース文化圏(群馬)
に分断されているのだ。
新幹線が開通した今、この文化圏による影響は極めて微弱と思われている。
が、
しかしこの影響をモロに受けるのが、交通弱者たる高校生たちである。
中でも流行りに敏感な女子高生たちだ。
高崎JKと上越JK。
ここに熱き文化の衝突が始まる(筆者の脳内で)
スカート丈戦争
高崎JKは、その立地から少し頑張れば、大宮、東京まで出ることができるため、東京を闊歩するJKたちの影響が色濃い。
カーディガンの萌え袖やプロデューサー巻きなど、男心をグッとくすぐる格好にぬかりない。
しかし、
ひとたび山を越えた先に新潟JKが繰り広げる文化は、
部活帰りの素朴なポニーテールとスマホを介した色恋バナシ。
膝より少し上の絶対安全領域を確保するスカート。
トンネルの真ん中で高校が出来たとしたら、間違いなくそれは仁義なきスカート丈戦争となるだろう。
JK界に激震が走ることはまずもって間違いない。
交通が我々を分断した時代は終わった。
サラリーマンが何時間もかけて地方に行ったり、決死の想いで集団就職をすることもなくなった。
だが、その残り香を女子高生に見ることができると言える?のかもしれない。
まとめ
学生たちは上越線を利用したいから利用しているのではない。
利用せざるを得ないから利用しているのだ。
「この利用せざるを得ない」という状況作り、合理性作りが地方創生のヒントになるだろう。
合理性のない地方は滅びゆくのが自然だ。
だが、地方の多様性こそが国の強さである。
一つが倒れても共倒れにならない。
数千年続いたと言われる三内丸山遺跡の縄文人たちは様々な木を自分たちの生活圏に植え、どれかが不作でも違う木ノ実を食べることで飢えをしのいだとされる。
多様性は日本ひいては人類の豊かさである。
そして、全ての発展には物語がある。
新潟の発展はエネルギーと共にあった。
古くから石油の産地で、それに関連した二次産業が発展してきた。
そして今は柏崎・刈羽に原子力発電所があり、地域を潤している。
建設の際は、工事関係者で地元の潤いは大変なものだったそうだ。
いくらその地方の人が街を残そうと抵抗しても、
ローカル鉄道を乗って残そう運動をしても、
その街に発展する理由(職と儲け話)がなければ、その街は確実に滅びる。
佐賀県を歩いた際、古代の国庁跡を見た。
昔の政治経済の中心地が今では原っぱである。
滅ぶべきものは、滅び、残るべきものは残る。
いずれにせよスカート丈はいつまでも短くあってほしいものである。