オッペンハイマーに見る護国の精神と心理補色
表現筋の筋トレのため、好きな映画についてはたまに言語化しておきたい。というわけで、「オッペンハイマー」を観たのでその感想をつらつらと綴っていく。なお、日本公開日はまだ未定。私は、気を利かせた後輩がタイで円盤を買ってきてくれた。存分に羨ましがって欲しい。
タイトルが示す通り、これはオッペンハイマーの半生をそのまま描いた映画である。
WW2の戦禍において、原爆開発は時間の問題であった。明らかな火種としては、1939年にAcceptされたナチスドイツからの核分裂に関する論文(O.R.Frisch, Nature, 143 (1939) 276.など)がある。ユダヤ人でもあるオッペンハイマーは、なんとしてもドイツより早く原爆を開発する必要があった。敵を鎮め国を護るという鎮護国家を実現しなければならない。これが、マンハッタン計画であり、そして、彼にはマンハッタン計画を成功に導くだけの才覚があった。
1942年から極秘プロジェクトとしてグローブスが立ち上げた一方で、その3年後の1945年5月にナチスドイツが降伏する。原爆開発の必要性が薄れる。しかしながら、幸か不幸か、その二ヶ月後の1945年7月16日、人類史上初の核実験が成功する。トリニティ実験である。
凄まじい威力を目の当たりにして歓喜する研究者・軍人・そしてアメリカ市民。オッペンハイマーは彼らに英雄として賛美される。大講堂で彼を称賛する人々の前に立ち、彼はアメリカ市民に向けて成果を報告する。
本場面における台詞を改変したくないためそのまま引用させて頂く。
以下、私の勝手な解釈を書き連ねるため、鵜呑みにしないでほしい。
この場面における台詞が一人歩きしてしまう可能性こそが、日本公開が遅延している大きな要因だと思う。これを文字だけで読んでいる人ならなおのこと、日本人という種族を下げて原爆の成功を持ち上げたと読まれてしまう未来が十分に見えてしまうだろう。
ただ、この言葉を発する時のオッペンハイマーは「その言葉を発することが望まれている」という開発者としての役割を全うしたに過ぎない。見事なまでのロールを演じきっている。
彼の強い言葉に触発され、人々は湧き立つ。彼の愛称を叫び、アメリカを讃え、興奮のあまりに涙を流す人もいる。
しかし、彼の眼前には、死が広がっていた。人々の金切り声は耳から消え、その講堂が被爆地のように映っていく。皮膚は紙切れのように剥がれていき、建物は崩れ落ち、足元には黒煤のようになった死体が転がっていた。
補色調和という概念は、大多数の人が知っていると思う。
私の場合は、小学生の時だろうか。担任の先生に教わったことをよく覚えている。色相環では真逆に位置する補色だが、これを見つけるのは簡単だ。
まず、白紙の中心に使いたい色で円を描く。例えば赤色を用いることにしよう。そうしてその赤い点をじっと見つめて、その後に紙の余った白い部分へと目をそらす。そうすると、ぼんやりとした光が浮かんでくる。そしてだんだんと色づき明滅が青色へと変化する。この青が、補色だ。補色同士の色の組み合わせは、互いを引き立て合うために、補色を積極的に用いるように教わった。だが、これは全く逆の因果を示唆しているように思う。何かを注視してしまえば、その補色が浮かび立つことからは逃れられないという事実を。
オッペンハイマーが注視してしまったものは二つある。
一つは、物理学。才能が導いた理論物理学への没頭は、その補色としての原爆開発を確たるものにする。
そして2点目。それは、アメリカ市民の歓喜する姿。
彼は、歪な喜びを目に焼き付けてしまった。だから、そのまぶたには補色としての死が映り込む。自分を賛美する人々の目線を見るたびに、遠く離れた国に落とされた原爆が、克明に。
ここで、悲しいことに、彼はそれに耐えることが出来てしまった。自分の罪から目を背けることなく、それを正当化するでもなく、ただサイエンティストとパシフィストを両立する。両立できてしまう。有り余る護国の精神で。
アインシュタインが開いたドアの隙間から覗かれた世界の「中にある」世界は、狂気と矛盾に満ちていた。しかし、それに足を踏み入れるという才能は、目をそらすという優しさを許してはくれなかった。
あとは蛇足
序盤で、教授に叱責されたオッペンハイマーが青リンゴに青酸カリを注入するシーンがあるが、おそらくこれは、アランチューリングのオマージュかと思う。流石に深読みかな。