コロナ禍で存在を消された私たち コロナ後遺症疑~筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群 診断に至るまで~

検査難民
発症月:2020年3月
ペンネーム:開智 
居住地:東京都

2021年12月・・・

ひょんなきっかけで、以前使用していたTwitterのアカウントを見るようになった。
もう見ても辛くない。夢みたいだ。
でも、まだ書き込む勇気はない。
なぜ一年半以上「消えてたのか」事情説明しなきゃだし。見れるようになったのは、やはり一部友人に「コロナ後遺症」をカミングアウトできたことも大きく影響している。
少しずつ少しずつ自信を取り戻してるからかもしれない。

元々、健康で趣味に仕事に燃える、明るくエネルギッシュな人間だったのに「感染」して全てが一転した…。

改めて、2020年を振り返って

感染後8ヶ月の事は本当に地獄だった。

思い出したくない。記憶喪失になりたいくらい。

ある日の夕方、突然気分が悪くなり熱が出た。その後、日を追うごとに典型的なコロナ症状(倦怠感、味覚・臭覚異常)に見舞われた。かかりつけ医が保健所にPCR検査を受けられるよう掛け合ってくれたが検査は受けられなかった。いつまでも具合の悪さが続いたけれど、1ヶ月の自宅での自主隔離後、とても不安な中、仕事に復帰した。

その後も倦怠感や手指のこわばり、その他不気味な神経症状に見舞われることが度々あり、それがもう毎日毎秒恐ろしくて、言葉にこそ出さなかったが「死にたい」とすら思っていた。

そんな折り、いつまで経っても好転しない症状にかかりつけ医にも「心因性だ」と見放されてしまい、まともな医療に繋がれなかったため、Twitterで知り合った医者を名乗る人など怪しい人に随分翻弄された。
「普段なら絶対相手にしないのに・・・」と思いながらも、どこかおかしいと思いながらも、縋った。勧められるままに健康食品などを買い漁ったりもした。

そして、ダイヤモンドプリンセス号のコロナ患者の対応をしていたという基幹病院を受診。長期症状についても患者から話が出ているのではと期待したけれど、総合内科の若い医師からは適応障害だと言われ、新聞などに「コロナ後遺症」があるとの報道が出てからも

「後遺症じゃないと思いますよ」

とサラリと言われた。PCR検査を受けられていないためか、まともに取り合ってもらえなかった。
「冷静に説明しよう」と心掛けて書面を作って受診しているのに毎回適応障害の扱いを受けるだけだった。積極的に症状を聴き取り、どういった病気の可能性があるのか考えようとはしてくれなかった。でも、処方される抗不安薬と抗うつ薬が神経症状を和らげてくれたので通い続けるしかなかった。毎日会社に通いながら「治りたい」と必死だった。

2020年末に会社に通えなくなるくらいのひどい体調不良(クラッシュ)を起こしてからも、症状をまともに聴き取らずに適応障害という診断を曲げなかった医師にいまだに怒りを感じている。ME(筋痛性脳脊髄炎)の専門医がいる病院への紹介状を書いてもらったので専門医からの返事がいっているはずだけれど、医師は自分の診断を振り返っただろうか。(MEの可能性はコロナ後遺症外来のあるヒラハタクリニック受診で示唆された)

クラッシュしてからも本当に大変だったけれど、自分がME(筋痛性脳脊髄炎)疑いだとわかってから、きちんとした医療に繋がれて精神的には安定した。

人間、何だかかわからないものに脅かされている事が一番精神的に病むんだなと思った。

クラッシュ後は仕事復帰できず、数え切れないほど不気味な症状に見舞われて苦しみ、さらに症状が悪化して完全に寝たきりになった。光過敏と聴覚過敏が出現。スマホを見ると身体に衝撃が走った。家族の声、風で戸が揺れる音がダイレクトに身体に響いて辛い。暗闇の中、アイマスクと耳栓をして、ベッドの上での生活。時間の間隔がなくなった。何をやっても、自分でスプーンを持っただけでも具合が悪くなってしまい、「もうだめだ」と4か月間毎日絶望していたけれど、投薬治療と慎重なリハビリを経て、今やっとここまできた。散歩できるまでには回復した。

よく生きてた自分。自分で自分を褒めてる。

ME/CFS (筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)への研究と理解が進む世の中を願って

「MEって寛解に持っていける日が来るのかな」と日々考える。今、コロナ後遺症からMEになる人が一定数いる事からアメリカでも研究が一気に進んでるというし、そういう日が来ると信じたい。その日まで、どうやってこの病いと付き合い、生活していくのかが私の課題。

「普通の生活」を以前の調子でやるのは無理なんだなという現実を突きつけられる日々を送っている。一月以上前、自転車に乗っただけでクラッシュを起こしてしまいいまだに完全回復していない。やっぱり過信しちゃいけないんだとしみじみ思った。

MEはウィルス感染等がきっかけで起こる脳神経の自己免疫疾患だといわれている。根本的な治療法は確立していない難病で、患者の3割はほぼ寝たきりの重病患者だという。私は現在休職しているけれど、おそらくこのまま辞めることになるだろう。どうしても仕事は続けたかったのでとても悩んだけれど、少しの無理がクラッシュの引き金になり寝たきりになるという経験をしている以上、無理はできない、と思った。

私は独身。親も高齢。今は傷病手当金と貯金があるが、いずれ生活できなくなる時が来る。私の場合、障害年金の受給は恐らく不可能だろう。PCR検査を受けられなかったため、コロナ後遺症だという証明もできないので、国による後遺症の救済制度ができたとしても対象外だ。だからどうしても仕事がしたい。リモートワークできる仕事を探そうと思っているけれど、見つかるだろうか。不安でいっぱいだ。

そういえば、MEの先生に先日の受診の時に聞いてみたのだった。
「MEの確定診断は出るんでしょうか?」と。
そうしたらあっさり「診断書、書きますよ!」と。

先生は、私に会うといつも
「一番酷かった時のことを覚えてますか?船底をゴリゴリ削りながら生きているようだと言ってましたね….」
と、「よくここまで良くなったね」とさも言いたげに、毎回毎回感慨深げに語りかけてくれる。
最初はサラリとした先生だなと思ってたけれど最近は情の深さを感じる。

適応障害とされて「後遺症治療」を受けられず怯えていた時期を考えると、こうやって

「病気と向き合って治す」という、
ある意味「当たり前だけどとても難しいこと」をやってのける先生に出会えて本当にありがたいと思っている。


PCR検査を受けられなかった人の中に、今も苦しむ人間がいることを知っていただけたらと思い、自分の体験を文章に残しました。

医師には時期と症状から原因はコロナ感染だろうと言われてはいますが、陽性であった証拠はない。自分の体が蝕まれたという事実だけが残ってしまいました。

いつか、ME (筋痛性脳脊髄炎)が治癒する病気になり、思いっきり仕事をして、趣味だった海外ひとり旅ができる日を夢見て。後遺症に苦しむ人が少しでも減りますように。そして、コロナが収束する日を信じて。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?