自己肯定感と簡単に言うけれど。

昨日までは「時間を限定してもう一度お店を開けようか」なんて考えていたのだけれど、いざ準備を始めるとやはり急に苦しくなってしまう。
無理にやろうとして告知などをしてしまうと、また引くに引けなくなって自分を追い込んでしまう可能性が高い。
ということでもう少し延期して様子を見ることにした。
最善策ではない気がするが、最悪を回避していると考えれば必ずしも悪い選択でもないだろう。

そもそも普通の復活は期待できないが、ここまで立ち直れないとなるとやはり事態は深刻だ。
何とか上手く立ち回れないかとどこかで期待していたが、手段は選んでいられないのかもしれない。
根本にある問題に向き合い、まずは一旦生きるだけ、ただ生活を回すだけの状態にもっていくところからスタートだ。

では、根本にある問題とは何なのか。
この問いへの答えは、このところずっと模索していたが、少しずつヒントが見えてきている。
それは、常に誰かにちやほやされて必要とされ続けないと、モチベーションが続かないということ。
必要とされるのは友人や恋人でも、あるいは職場においてでもいいのだが、とにかくもてはやされ、そして自分が主体になって動けて、好きなタイミングで甘えたり休息できる環境が必要らしい。
何とめんどくさい人間なんだろう… (笑)
そしてこの歪んだ承認欲求は、自己肯定感の弱さの裏返しであるようだ。

他の記事でも少し述べたが、父親の人間性がこの性格形成に大きく影響してきたと思う。
彼は癇癪持ち、極端で思い込みの激しい思考の持ち主だ。自分で人生のハードルを上げて、勝手に機嫌が悪くなり、自分を肯定するために身内などマウントを取れる人間に対してすごく偉そうにする。そんな人間だ。
そんな父親が子供を育てると、勝手に子ども自身の人生のハードルも上げて難しくさせるし、何かにつけて抑圧しようとしてくる。自分自身が大人になり切れず、悪い意味で子供と同じ目線同じレベルで接してしまう。素直に子供を承認することができない。
この父親に対して、子供はとにかく恐れを抱く。そして自己肯定感が形成される機会が少なく、その反動で自分が偉そうにできる場面でここぞとばかりに自己顕示を行う。偉そうにできる相手を見つけては、知ったかぶり、ひけらかしたがるスカしたガキの出来上がりだ。
成長しても構造は変わらない。偉そうに出来る、すなわちチヤホヤされるような環境でしか自分を肯定することができなくなってしまうのだ。

今回、この構造に自分で気付くことができたのは大きい。
そして調べてみると「大人の愛着障害」というようなテーマで、同じ悩みを抱えた人は多いようだ。ただ一朝一夕に解決できる問題ではないとのこと。
カウンセリングや然るべき診療期間に協力してもらいながら、自分を見つめ直し、正しく自己肯定感を養成していくことが求められる。そして、安全地帯となるストレスがかからない環境も大切なようだ。

これまでの、あるいはいまの環境ではどうしても父親の存在がついて回りストレスとなっているのはおそらく間違いない。
いっそ、関係を清算して遠くに離れてしまう、つまり進めていたお店の準備を放置したまま、全く新しい環境でやり直すことも検討している。もう雁字搦めになってしまっていて、このまま続けても良い結果は得られないだろう。最低限の荷物を持って、住み込みのバイトでも探すか…
とは言え、自分で始めてしまったことを投げ出すことにもなるわけで…

なかなか悩ましい選択である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?