女性は知っておいた方がいい更年期のことと、心療内科に行っても無意味だったというお話。
このnoteを書き始めた時の話です。
書き始めた頃のわたしは、
重度のうつを伴った更年期障害だった。
発症、というか、
家族におかしいと言われ続けても仕事を必死にやらなくてはならない環境にいたので、
重度のうつであることも気づかずに、
頭が回らないまま動いていた。
仕事は重要な役割を担っていて、
使命感に燃えて進めていたプロジェクト。
非常に繊細な現場環境の上、人材不足だったため、
誰もが緊張している状況下、
『微笑みうつ』と呼ばれるものがあるらしいが、
私はまさにそれ。
私は責任者の立ち位置にいたので、
おかしくなってる場合ではなかった。
が、確実におかしかったんだ。
今になって冷静にあの頃の自分を思い返すと、
明らかにおかしかった。
ただ、
自分がおかしいことを認められず、
というかおかしくなってる場合じゃなく、
自分がおかしいと認められる環境にいなかったので、
周りからもその状態をゆるされなかったんだなぁと、
それくらい必死な状況にみんながいる現場だったので、
自分も、周りも、
気づくことがなかったのだな、と、思う。
そして、何より、
気づかれないようにすることに必死だったから、
気づいてもらえることもあるわけがなく、
結果、ありえないポカや失敗を幾度となく繰り返すことになり、
周りに責められ続けたのは、
自分がその態度だったからだと、今ならわかる。
しんどかったあの時期。
なんとかしなきゃという想いで、
毎晩寝られず、
それでいて頭が全くまわらないため仕事も進められず、
恐れに慄いて毎朝起きて、
自責するという、
明らかにおかしいにもかかわらず、
自分は必死なので、気づくことはなかった。
家族に言われても、
そんなこと言ってられない!と突っぱねて。
必死にやるしかなかった。
今、かなりのレベルで通常に戻っている、と
自覚もあるけれど、
あの時の自責の感覚や、
周りの人からの言葉がきっかけになっていった流れは、
トラウマのように残っている。
そこを払拭するためにも、
ここにこうして書き出している。
認めていくのが、何よりの薬だ。
あの頃の私は、更年期にも、うつにも、
全くといっていいほど知識がなく、
どこかで自分には無縁のものだとたかを括っていた。
無知というのは、本当に恐ろしい。
受け入れられない、ということも、本当に恐ろしい。
ここにたどり着いた方は、
今現在苦しいか、
何かを求めていらしてるんだと思う。
何かの足しになったらいいなと思う。
ブレインフォグ、というものも知らなかった。
ブレインフォグ。
頭に靄がかかったように、本当に脳が動かない。
全く、動かないのだ。
記憶が辿れなくなる。
当たり前にできていたことが、軒並み出来なくなる。
責任者の立場でいながら、
やってるのことが新人レベルに落ちる。
思い出そうとしても、抜け落ちたように思い出せない。
気を利かせることというのも、全く出来なかった。
ありえないポカをする。
周りからは怒られたりするレベルだが、
どうにも出来ない。
準備しようとしてもうまくいかない。
焦りは焦りを生み、恐れに変わっていく。
ミスしないように、なんてレベルにもない。
ミスしたことにも気づけず、
ミスがなんなのかもわからなくなる。
けれど、そこにずっといるわけじゃないので、
はっ。と気づくと、自分が何も信じられなくなる。
自分の全てが信じられないので、
さらに必死に埋めようとするのに、
それももちろんできないので、
自責に走る。
アルツハイマーか?と恐ろしくなるけれど、
多忙な時期に病院にいくわけにもいかない。
それくらいその半年くらいは繊細な時期だった。
けれど、その時には全く、
誰1人気づいていなかったが、
私自身が繊細な時期にいたのだった。
まさか自分がおかしくなるなんて思いもしないので、
なんとかしなければ、ということにエネルギーを注ぐことになる。
自分の全てが信じられない
↓
必死に埋めようとする
↓
できない
↓
自分を責める
↓
必死に埋めようとする
↓
頭が全然まわらない
↓
自分を責める
↓
ミス連発
↓
人から怒りを買う
↓
自分を責める
↓
建設的に捉えることはすでに出来ない
↓
どうにかしなければ、の行動に出る
↓
自分を責める
↓
自分を責める
…みたいなループの日々を過ごすことになっていった。
明らかにおかしい。
元々の自分の性格もあったのも、後からわかったこと。
そもそも、未経験の仕事に責任者として奮闘していたので、必死だったし、
自分がアタマが悪く、
仕事のできないヤツだったということにも気づいていなかったアホなので、
適切な取り組みができていなかったんだということも、
今はしっかり認識している。
自分がそうなった流れが、
更年期が先か、
はたまた仕事の影響が先なのかは、
ハッキリとはわからない。
その仕事の現場が終わり、
後作業の頃から、緊張が解け始めたのか、
圧倒的におかしくなり、
家族からストップがかかった。
おかしくない!
とつっぱねていたけれど、
めまいと動悸と血の気が引く症状が出て、
ほぼ寝たきりになって初めて、
おかしいのかな。
そんな場合じゃないのに。。。
と、まだなんとか責任を負わなくては!!と、
自分を責め続けていて、
家族が真剣に、必死におかしい!と伝え続けてくれ、
…おかしいのかもしれない。
と、
それでもなんとかしなければ、と、
必要以上に責任を負い続けていたのだが、
いろんな症状わネットで調べまくり、
これは更年期の可能性が高いかもしれない、と、
婦人科にいくことにした。
ここでもまだ心療内科にはいかなかった。
なんとかしなければ、という、
受け入れない方向にエネルギーを注いでいたのだ。
早く治して仕事できるようにしなければ。と。
我慢強い方だったので、
自分を誤魔化して普通にすること(普通じゃないけど、そう見えるように演じること)ができていた。
今思えば、
小さい頃から、そういう風に周りにしていたなあ。
自分の本当に感じていることを外に出さず、
ごまかすことをしていたんだよね。
母が怒ると鬼のように怖かったから。
家の中が地獄のようになるから、
私がなんとかしなきゃと思っていたから、
笑ったり、道化を演じたり、
幼いふりやわからないふりをしたり、
自分は何も感じてないかのように、
周りの空気を楽にしたくて。
だから、
婦人科でも、しんどいのを隠して、
普通に対応していた。
口コミの良さそうな行った先の婦人科では、
ホルモンの値が完全に更年期ですね、と言われた。
通常の更年期と言われるホルモン値の10倍になっている、と。
これは症状色々出るかもしれないから、
ちょっとしんどいかもしれませんね、と。
ホルモン治療がおすすめといわれたけれど、
子宮に良性の腫瘍を若い頃から持っているので、
それは避けたいので、
漢方と、プラセンタ注射をすることにした。
多少身体の症状は減ったが、
メンタルはおかしいまま。
婦人科と心療内科の両方が受けられるところにいった。
そこは謎だった。
10分くらい話を聞いたかと思うと、
多分不安障害ですね。
仕事を休んだ方がいいから、
どれくらい休んだ方が良さそう?と逆に聞かれる。
そうやって書いてあげるから、と。
(どういうこと?こっちが決めるものなの?)
と思いつつも、
とりあえず休まないともうダメだなと思い、
1ヶ月、と言った。
診断書には、
不安障害・適応障害、1ヶ月の休みが必要、と書かれていた。
あれで何がわかるんだろう…という不満を抱えながら、
よちよち歩きくらいのスピードでしか歩けない時期に、
なんだかよくわからないなぁと、
納得がいかなかったので、
2つの病院をまわった。
次に行ったのは、
うまいこと書かれていた銀座のとある心療内科。
と、その前に、
とりあえず、
仕事先に診断内容を伝えたのだが、
共同責任者から、
それはどういうこと?
責任がとれないということ?
そうやって病気になってるのもいいけど、
あなたのミスを周りが怒っているが、
どうやって収拾するのか?
と、責められたのち、
直接連絡が取れなくなった。
今振り返ると、
不安障害や重度のうつになっている状態のときに、
このような言葉を本人にかけた場合、
相手は完全に殺されたような気持ちになってしまう。
先方もしんどい時期だったのはわかっていたので、
申し訳ない、不甲斐ない、
自分がダメだからなんだ、と、
それまでに言われた言葉も思い出され、
その人以外にしか連絡が取れなくなったことで、
自分を責めに責め、
全ての言葉や行為を、
自分を責める方へ深く刺していく状態になってしまった。
これで重度のうつへと完全に陥落することになった。
今これを、フラットな気持ちで書けていること、
善悪で責めなくなったことに気づき、
まだ引っかかることがあることにも気づいた。
この引っかかりの対応が最後だなと確信もえて、
今、爽やかにこれを書いている。
その後も振り返っておこう。
あの時の脳は、完全におかしい。
マイナス以外の考えが浮かばない。
ネガティヴ以外がないのだ。
もうどうにもならなくなり、
1筋の光も見えなくなったので、
ここでやっと、心療内科にいくのだ。
とある銀座の、
ネットでは良さそうに書かれている心療内科。
なかなか人気らしい。
が。
医師は、
話を聞いてくれるのだが、
ほぼ私を見ることがない。
ネットで調べたりしている。
え?それなら私も調べたけど?
というサイトとかを見せてきて、
薬を飲むしかないという。
私は、抗精神薬は飲みたくない、漢方などで対応したいと言ったが、
その状態では無理だ、と。
自分の子どもにも飲ませているから大丈夫、という。
え????
子どもに抗精神薬を飲ませている???
わたしは、一時期、自然治癒療法を学んでいたこともあり、
おかしくなっていた状態でも、
それがおかしいことくらいはわかる。
大して見もせずに、薬を出す医師。
処方箋を出される。
その時の私は、あまりにも闇の中にいてしんどかったので、
薬を受け取り、自宅に戻った。
この薬を飲んだら、最低5年は抜けない。
薬というのは、そういうものだ。
全細胞が入れ替わる7年で、完全に抜けるだろうことは、
なんとなくわかっていた。
が、しんどい。
激烈にしんどかった。
仕事にどうにか戻らなきゃと、
なんとかしなきゃと、自責しすぎていたので、
この1粒を飲んだら楽になるのか……
だったら、周りに迷惑かけなくて済むなら、
飲んでみようか……
カプセルから1粒出したのだが、
身体が吐き気を催す。
身体が完全に拒否をする。
これは、体が拒否して、受け付けない。
飲んじゃダメだ。
身体を信頼し、薬を全て捨てた。
そこから、どうしたら治るのか、
元に戻れるのか、
必死にいろんなことをした。
脳波を計測しにいき、
重度の鬱の脳波ですね、と言われて、やっと諦め、
先方に伝え、完全に無期限休養とした。
(共同責任者とは直接話ができなかったため、手紙と診断書を送付した)
それからあらゆる療法を試す。
脳に刺激を与える療法、
無重力に浮くフロート療法、
栄養を大量に摂取するメガビタミン療法、
プラセンタ注射を打ち続け、
毎朝なんとか動きに行く。
自分を見つめる認知行動療法などもした。
自分が浮き彫りになればなる程、
自分を見つめる以外、
方法がないんだということがよくわかった。
そして、
自分の意思力が、何より重要なんだ、と。
そのきっかけをくれたのは、
更年期と、重度のうつだった。
これがなければ、
本当の意味で、自分に気づくこと、理解することはなかったと思う。
そのときから、2年と9ヶ月が経過した今、
心の底から思う。
この時期があってよかった。
この、地獄の時期を過ごさなければ、
私は真の私に気づくことはなかった。
強制終了になったから、
取り戻すことができた。
更年期が何かを、女性は知っておいた方がいい。
ならないように、大切にしていたら、
楽に過ごせるのかもしれない。
無知はいけない。
無知は私のようにしんどい時期から、知ることになる。
そして、症状が出た時は、
あらがわずに、認めることだ。
そして、周りに理解してもらうことだ。
しっかりと調べて、
体に負担のない方法での対処と、
自分を見つめる時間をとることをお勧めします。
うつの方へ。
うつは、自分の思考に気づくと、抜けていきます。
自分と周りのバランスを崩して、
自分が、被害者に自らなっているとき、
自分を、被害者に仕立て上げているときに、
うつになります。
苦しい時期は必ず終わる。
終わるからね。
ただね、自分を大切に扱うことな大事。
栄養を大量に入れ、
薬を飲んでいるならば薬を少しずつ減らし、
朝早く起きて、太陽を見て、運動をして。
この1つを1回でもできれば、最初はいい。
そんな感じで、私は進めてきました。
勢いで進むアホで、仕事できないズボラ野郎ができるんだから、
あなたもきっとできる。
1つでいい。
1つもできなかった日々を散々過ごしたから思う。
その1つでもできたら良しとして、
自分が弱いとかダメとか、
どうせ治らないとか、
そう思ってる自分がいたら、
お、だからか
と思ったりしてみて、思えなくてもその可能性を思って、
うつでいるメリットがあったら、
それをやめてもいいと、自分に伝えて、
薬は治してくれるものではないことを知った上で、
自分を治せるのは医師ではなく自分でしかないことを知って、
のんびり過ごしながら、
とにかくしっかり運動して食べてやって、
できるようになったら、
自分の考え方を変えていくといい。
自分を責めてることに気づいていけば、
世の中の人の多くが病んでいることに気づき、
自分をまず幸せにすることが大事だと、
あなたの奥底は知ってると思う。
今、を大事に。ぜひ。