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体験に勝る共感はないよね〜
久しぶりの投稿…。
あまりにもやる気が出なくて、またまたNetflixばかり観ていた。
8月23日から喉の調子が悪くなり声枯れしだしてから、明日で早3週間が経つ。
最もヒドイ時からは多少良くなっているけど、学生時代の同級生達からは、
「場末のスナックのママみたい」と笑われている。
元の私の声を知っている友人達だから、笑われてもなんとも思わない。
でも…。
年齢を感じさせない自分の声が、結構好きだった。
年を重ねて少しずつ老化していく顔や身体は、その速度で少しずつ受け入れていけると思ってたけど、急に声だけが砂かけババアみたいになって、最初の1週間はその内治ると思って平気だったけど、3週間も変化がないと、「もしかしたら一生この声かも…」と、暗澹たる気持ちになる。
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だから、声が出にくくても元気だからnoteは更新できる筈なのに、全くやる気が出なくなっていた。
YouTubeで声枯れを治す動画とか見てみると、コメント欄に私と同じような人たちのコメントが…。
自分だけじゃないんだ〜と、癒されたりするけど、
「もう1年以上治っていません」とか見ると、私もそうかもしれないな〜と凹む。
声を生業にする仕事についていないし、人と接する機会は少ない方だからいいけど…と思ってみても、あんまり慰めにはならない。
出来ていたことが急に出来なくなる辛さは、足を骨折した時にも味わったけど、あの時は、先が見えていたし、リハビリ頑張れば頑張った分だけ治りが早くて、精神的に楽だった。
でも、今回は全く先が見えないし、頑張りようもない。
たかが声枯れだけど、たぶん自分がなってみなきゃわからない。
どんなことでも、体験に勝る共感はないって、心から思う。
想像はできるけど、想像と体験じゃ〜雲泥の差。
以前、「フラれたことも浮気されたこともない」と言ったら、娘から「だからお母さんは、女としてどこか傲慢なとこがあるんだ〜」と言われたことがあった。
そしてその後、人生で初めてそんな体験をして、その辛さに「ああ、確かに私は女として傲慢だったな…」と思った。
自分がそうなってみなきゃ、辛い人の気持ちなんて本当の意味では理解は出来ないなって、つくづく思った。
だから私は、容易くわかったような共感を口にしないと決めた。
自分がされて嫌なことは人にしない。
最近流行ってた韓国ドラマ『マスクガール』で、【ルッキズム】という言葉を知った。
ルッキズムとは、外見至上主義。
主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。
「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり、外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。
「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。
外見重視主義者をルッキスト(lookist)と呼ぶ
度合いは違えど、割と誰にでもある価値観だよね。
だからこそ人にはコンプレックスというものが生まれる。
そしてそのコンプレックスが一番自分で自分を傷つける。
自分で自分が受け入れられないこと。
自分で自分を好きになれないこと。
それが一番辛い。
私もこのへんのとこが、やっぱり少し傲慢だった気がする。
今回は見た目ではないけど、今の声が、自分で受け入れられない。
好きになれない。
自分大好きだった筈なのね。
自己肯定感が低い人の気持ちを、今回…ほんのちょっとだけ理解できたような気がする。
だから今は、試練の度に、なんとか這い上がれるゾンビのような自分を好きでいよう…って、そんな感じ♡
愚痴愚痴な文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
愚痴れるくらいには元気回復してきました(๑˃̵ᴗ˂̵)では、また…。
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