未読のLINE
今日は3月11日。
13年前の悲劇をキッカケに、今は多くの人が便利に利用しているLINEが生まれた。
とてもありがたいアプリだ。
でも、いつまで経っても既読にならない画面は…胸を刺す。
『既読は生存のサイン』と、誰かが言っていた。
じゃあ…未読は?
既読スルーがどれほど嬉しいものか、私は今年になって初めて実感した。
2024年元旦から、何度メッセージやスタンプを送っても既読にならない画面を見つめた。
大切な人を亡くした方々は、胸を引き裂かれるような思いで未読のLINEを見た事だろう。
私もその辛さが身に沁みて理解できる。
見るたびに辛いのに、ずっと見ずにはいられなかった。
もしかしたら既読になるかも?なんていうドラマのような奇跡を願って。
でも、唯一の現実を認めるその画面を、今はもう見なくなった。
先月、娘の愛犬を預かった。
甘えっ子の柴犬くんは、リビングのソファで寛いいる時は、常にピッタリと寄り添っている。
そんな柴犬くんが時折、部屋の角の壁掛け時計の辺りを見つめて小さく吠える。
その壁掛け時計は、彼からの最後のクリスマスプレゼントだ。
だから、柴犬くんが吠えるたびに温かい気持ちになった。
人は肉体を卒業するだけで、大切な人の近くにきっといる。
死んだらどうなるとか、あの世とか、魂とか、わからないけど、気配とか記憶として生き続けているんだろうな…って、言葉を持たない柴犬くんが教えてくれた。
だからもう…未読のLINEは見ない。