『何者でもない』を受けとめる〜そんな初老始め〜
学生時代、私は将来何者かになりたいと思っていた。
でも周りには、目指す夢がある人、やりたいことが明確な人ばかりじゃなく、何をしたいのかわからない人の方が多く、私はよく「羨ましい」と言われていた。
先日、半世紀近く前に卒業した高校の同窓会があった。
64歳。
定年退職している人も多く、殆どがもう何者でもなかった。
何者かになりたかった私も、もう何者でもなく、私を羨ましいと言っていた同級生も、もちろん何者でもない。
そんな感じで、何度か行われている同窓会の中で、一番フラットな集まりだった気がした。
会話は長く保たないけど、心地よい空間だった。
どんな大学、どんな会社、どんな役職とか、子供がどこの大学とか、そんな装飾な会話はなく、親を看取った人も多く、持病や孫の話しが出てくるような、「ああ、初老始めだなぁ〜」って感じる、そんな同窓会だった。
Voicyで、私がよく聴いている4、50代のパーソナリティーは全員が、ちゃんと肩書きを持った何者かで、何者かになりたい人への質問に答えたりしている。
私も、4、50代は、それなりの肩書きを持って生きていた。
年齢を重ねる事へのマイナスイメージも全くなく、なに一つ恐れはなかった。
でも、60代、還暦を迎えた時は、正直ビビった。
「とうとう初老に足を踏み入れてしまった…」と、そう思った。
「還暦記念ベストアルバムなんて出しておいて、よく言うわ」と親しい知人に言われたけど、あれだってそれまでを締めくくるという私なりの老いへの準備だった。
若い頃は、なんとなく中年までは想像できていたけど、老人になるという想像は、できなかった。
誰もがそうだろうけど、老人の入り口に立つのは初体験なのだ。
正直ちょっと怖かった。
若さを失う事よりも、何者でもなくなることが。
先週も30代のネイリストの女性に、「サイトを新しくするので、ネイルのお写真と、お名前はイニシャルで、年齢とお仕事を載せさせて頂いていいですか?」と言われて、勿論!と応じた。
キレイなネイルの写真の下に、M様(64歳 無職)。
「うーん、なんだか…文字にして示すと、字面がご本人と全くイメージが合いませんね」と、ネイリストの女性に苦笑された。
確かに!
字面だけだったら、犯罪者とか、犯罪被害者の方がイメージに合う。
普通にそこそこ幸せに穏やかに生きているのに、(64歳 無職)と表すと、なかなかの淀み具合で苦笑いだ。
私の親友も、20年も保護犬・猫のボランティアを、自分の命を削って懸命にやっているのに、何かの申請書だったり、登録に書く時は(64歳 無職)と、なんだかメチャクチャ味気ないものになる。
なんだかなぁ〜と思う。
それでも、それでいいんだ!
両親の介護期間、病院で偉そうな初老の男性によく出会した。
そして、そういう人の中には、昔の会社の役職が明記された名刺を、未だに持ち歩いている人もいた。
持っている杖を振り上げて、「どきなさい」と怒鳴っている白髪の男性もいた。
それらが、とてもとても見苦しかった。
そして、そういう方々は、みなさん孤独そうだ。
ああいうのは嫌だ。だから私は(64歳 無職)を受けとめる。
たとえ世の中やAIが、(64歳 無職)をどんな風に受けとめようと、知ったこっちゃない。
私の生き様は、私が十分納得しているし、世の中とは関係なく、『私は、私王国の国王なのだから』。
そんな風に思えば、初体験の初老始めも、案外すんなりといけそうだ。
趣味のゴルフで1人で参加して、初めましての方々と一緒にラウンドする事がしょっちゅうだけど、自己紹介では名前しか言わない。
年齢も職業もどうでもいい。
ゴルフが好きという共通項で会話できるのだから。
そして、そんな時間が本当に楽。
たまに年上の女性で、仕事の話しをされる方がいる。
「生涯現役でいたい」と。
そういう人に限って、ゴルフ中に他の人を羨む発言が多い。
「ああ、なんかとっても欲に満ちていらっしゃる」と、心の中で思って、距離を置く。
誰がどういう生き方をしようと、生涯何者かでい続けようと、周りにとってはどうでもいい事だ。
咳のように撒き散らさないで頂きたい。
初老は黙って動く歩道に乗るようにスルーっと進みたい。
そんな時、何者かなんていう荷物は下ろした方が、身軽でいいよなぁ〜って、私は思う。
という、初老始めのお話しでした。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。