小学5年生の時のギャル恩師:しおり先生へ届け~熱血で俺の人生を変えてくれた人~
#忘れられない先生 というテーマへの作品応募です。
この先生あっての今の自分だと深く思っています。
今の教育という仕事柄、私の教育観や、背景となる人生を語ることがあるのですが、たいてい自己紹介の時に、この先生の話をします。
こんな熱い先生になりたいと。
今でも数年に1度会える関係の恩師です。(仕事がお互い忙しいので、、)
愛情と論理性を教えてくれた先生
この先生はギャルなんです。当時の先生では珍しい、茶髪でした。
今では当たり前にいて欲しい時代ですが。
そんな先生だったのですが、クラス全員から結局卒業時は泣くほど愛される先生です。普段やんちゃ組の俺らも、泣いていました。冷めてるタイプの生徒とかもうちのクラスにはいなかったです。先生が先生ですから。
何度もよく怒る先生でした。
けど、それで、心底恐怖におびえたことは一度もありません。
だって、愛のある怒りでしたし、
怒る時は必ずこっちが悪いと自覚している時でしたから。
必ず怒る時のルールがあったのでしょう。
理不尽に切れられたことは当然ながら一度もありませんでした。
そして、怒った後は、抱きしめてくれる先生でした。
今は、セクハラと言われてしまうようですが、当時の俺らは照れくさいながらも、母親のようでうれしかったです。
児童運営委員会という議論の場へ
また俺が通っていた学校には、このような、生徒会のような機関がありました。学校のイベントごとや、各クラスの運営、委員会の仕事などについて、議論をする場所です。
ここに先生から誘われたのが俺の人生の転機でした。
「じゅんじゅん向いてると思うんだよね。」
※まつだじゅんや→じゅんじゅん。(俺の名前です。)
やんちゃな性格でもありましたが、ガキ大将的な性格でもあり、お兄ちゃんとしてみんなから見られている一面もありました。あとは、ずるがしこいところなどでも見抜かれたのでしょうか。
しかし、幸運でした。
ここに入ったことで、仕組みを自分たちの力で変えられる面白さを知りました。議論を組み立てていく事で、みんなでまとまっていく楽しさを知りました。仲が悪い人でも、絶対に仲良くなれたのが、この議論の面白いところです。なぜなら、みんな本音で話すからです。
ここで身に付けた力は、ずっと今に生きて続けています。
俺の人生の土台を創ってくれたのがこの人だと言うしかないほどです。
大変感謝しています。だから今でも、政治教育、経営教育、探求学習などの分野に取り組んでいます。そしてこれからも。
今の先生にも必ず持っていて欲しい力:教育力とは
いち教育者として、これから誰かを育てる人たち全員に必ず最低限持っていて欲しい力の話をします。
まずは、大前提の愛情です。
これがなきゃ教育はただの暴力に成り果てます。
自分たちが正しいと思い込んできた何かを与えると言えば聞こえはすこしよくなりますが、「教育がやっているのは価値観の植え付けです。」特に初等教育ではそれが著しいです。愛情を持って、こうはなってほしくないという危険な道から反らしてあげること、こう優しい人であってほしいと思って育てること、聞こえはいいですが、目的が良ければそれは暴力でないと言えば嘘です。自分は恐ろしい力を今行使しているのだ。という自覚を持ち、その恐怖心に打ち勝ち、相手を大切な存在と見ることができて初めて教育は教育です。
なので、次は正義です。
これが無ければ、教育という暴力は、洗脳になります。
正義は、大義名分など、自分が正しいと思うとかではありません。
正義は、倫理や、道徳、社会文化と、自分が守り貫き通したい信条や、大切にしている考え方など、自分が誰かを守るための愛情の矛先の話です。人はすべての人を愛せる人はきっといないでしょう。けど、もしかしたら、守りたいものの価値観を合わせることはできるかもしれません。自分の正義を持って、それを説明することで、愛情を届けてあげてください。
そして3つ目に公正なルールです。
生徒に同じく愛情を注ぐ。これが一番難しく大切なことだと、俺は恩師から教わりました。うちのクラスでは、あいつがひいきされてる!!なんてことは誰も思いませんでした。先生は必ず、同じく愛情を注いでくれていましたから。家族に、3人兄弟いたとして、それぞれに接し方は違えど、それは役割の違いで、愛情は同じように、先生はそうしてくれました。自分が今、ここが難しいなと感じている所です。
4つ目に、洞察力:マーケティング力です。
これが教育者がもっとも駆使するスキルだと思います。
逆にこれに自信がない人は、教育者をやめた方がいいです。
この先生は、1人1人をノートにまとめて分析していました。
生徒分析というのは、教育者を目指す過程で習うのですが、これをやらなくなる人もいるとのことです。もちろん、わざわざノートにやらなくてもいいかもしれません。しかし、問題は人が生みます。逆に言えば、人を知れば、解決できます。学校現場に限らず、教育をする人は、相手とその相手の周囲をどれだけ理解していて、適切に手を差し伸べられる準備ができるか?が教育者の器を決めると俺は考えています。
そして、この力が、暴力を教育に落とし込みます。
適切なところへ適切な力を届ける:適材適所
以上が、俺が先生と出会い、教育者を目指し、考えてきた感謝と教育哲学です。最後までありがとうございます。よければ、色々他の記事も読んでいってください。