昔と今のいのちの重さ
そもそもいのちなんて重いだの軽いだの関係なくただそこにある物。生まれて死んでを繰り返す、それが生き物。長生きは幸せ?短命は不幸?それは誰が決めたの?
1000年前の日本人はいのちをどのように受け止めていただろう?
寿命は今よりもずっと短い。
医療は発達していない。
(今ならすぐ治せるような病気でも)一旦病気にかかると弱い人は死んでしまう。
子供をたくさん生まないと跡取りが、労働力が、というような時代。
かと言って避妊などの概念もなかったと思うので子供はたくさん生まれてしまう。
貧しい家庭や飢饉の時には口減し(知らない人は調べてみて)も普通に行われる。
自分の兄弟に子供が生まれなければ自分の子供をあげたりする。
動物でも弱い子供は捨てたりするのはよくある話。自分達が限られた食料の中で生き延びる為には強い子を残して弱い子のいのちはそこで終わる。
では現代においていのちとはどんな位置付けにあるだろう?
まず食料が不足したり栄養失調で死ぬ心配はない(先進国)。つまりは死にものぐるいで食料を探しに行く事はしなくていい。
医療は発達しているので明日生きれるかどうかの心配はしなくていい。
子供はたくさん作っておかないとほとんど幼少期に死んでしまうから、なんて事もない。
何が言いたいかっていうと
「100年死なない保証書付きのいのちを与えられた人」
「いつ死ぬか殺されるかわからない今この瞬間を必死で生き延びる人」
このいのちに対する向き合い方の違いは大きいのではないか。
生きるという行為を命懸けで全うするのは後者だろう。
現代では精神疾患も多く鬱病や自殺なんてのも何も珍しくない。
何をしていいかわからない。
夢がない。
将来に希望が持てない。
自分のしたい事が見つからない。
これって環境が与えられ健康が与えられ経済的な心配もなく餓死する心配もないから言える事。
1000年前の人には到底理解出来ない発想だと思う。
「今はそんな時代なんだからのんびり生きようよ」
と言う人もたくさんいるだろう。
それはそれでいいと思う。
ただ、私は
「明日死んでも後悔しない」
をモットーに生きている。
生き尽くしたいのだ。
だから明日死んでもいい。
死んでもいいは死にたいとは違うので誤解のないように。
だからやりたい事はやるようにしている。
もし残りの人生が少ししかなければあなたは何をする?
きっと本当に心の底からやりたい事をやるのでは?
死生観は人それぞれだけど与えられた環境に感謝して目一杯人生を楽しみましょう。