読んだもの観たもの_202110
10月に読んだものと観たもののまとめです。
ネタバレを含みます。
TIGER&BUNNY -The Rising-
・2014年の劇場版2作目。
・1度目は学生の頃に映画館で観て、7年ぶりにamazonで観た。
・社会人になってからは実は一度も観ていなかった。
・社会人なりたての自分は、バーナビーのように新人だけど超優秀!というかんじでもないし、ワイルドタイガーのように経験値があったり情にあつかったりというかんじでもなかった。
・周りは東大や京大を出た優秀な同期ばかりで、自分だけがFラン大学卒。社会人になったばかりの頃に見返さなかったのは、誰に共感すればいいのかわからなかったからだと思う。
・1度目に観たときも思っていたけど、ホァンちゃんローズちゃんネイサンのシーンがまじで最高。
・「あんな素敵なひと、ほかにいないもん!」のシーンは何度観ても泣く。
・女の子らしさってなんやねんと思っている、そしてアニメ最終話でなんとなく気恥ずかしい気持ちだけど可愛いお洋服も試してみた、けどまだきっと割り切れていないホァンちゃんだからこそ、あのセリフは響くよなと思う。
・2022年公開予定の次のアニメシリーズも、ホァンちゃんは引き続きボーイッシュでしたね。そろそろ女性らしい身体つきになってきて、気にしているからゆったりパーカーなのかな、などと考えてしまった。
・学生時代にお気に入りの緑のロングスカートを履いて大学に行ったら、「先輩もロングスカートとか履くんですね」と後輩に言われたときに感じた違和感が、好きなもん着させてもろたってええやないかと思いつつ愛想笑いで飲み込んだことばが、あの頃の自分が少し救われるかんじがする。
・久しぶりにロングスカート履きたいし、髪も伸ばしたい。ここ数年、業者になめられないように、パンツスーツにショートカットヘアばかりだったと思い返した。
・人気低迷中の牛角さんの他ヒーローの模倣、最近「模倣してごめんなさい」と謝罪された経験をしたばかりだったので注視してしまった。模倣する本人は「つい出来心で」くらいなカジュアルな気分なのかな。
・海の向こうのセンチメンタルエリアのヒーローとかを模倣すれば、罪悪感も少なくて済むのに、どうして手近で済ませようとするのだろうか。
・昔は「ワイルドタイガーみたいな面倒なおじさんとは一緒に仕事したくない」と思っていたけど、今は「あんなに頑張ってて愛想良く接してるひとやったら、まぁ秒でバイクを水中に沈めても許せるかな…」という気持ちになっていた。
・これが大人になるということなんだと思う。
攻殻機動隊 イノセンス
・2004年の劇場版。
・攻殻機動隊はこの作品が一番好きで、今回観るのは3度目。
・鑑識ハラウェイネキのシーンの「たすけて」の音声ファイルは、意味がきちんと汲めなかった1度目の視聴からずっとトラウマみたいに残っている。
・キムのループシーンの作り方がまじで好き。『夢の木坂分岐点』の主人公と娘のやりとり、「ええと。君は真佐子なのかい。芙佐子かな」「それはもう、どっちでもいいのよ」を思い出した。
・「理解なんてものは、おおむね願望に基づくものだ」という荒巻ニキの台詞はずっと心に残っている。
・ひとは自分の経験からしか物事を認識できない。自分の受容体の形で相手のことばを受け止める。
・ただ、すぐに引用を思い起こすような、脳の一部が電脳化して外付けされた、暇さえあれば過去の作品をまるごとインストールするような攻殻機動隊の登場人物たちにとっては、またちょっと感じ方が違うのだろうか。
・「人間はなぜこうまでして自分の似姿を作りたがるのかしらね」「デカルトは、幼くして死んだ娘の名前を人形に付けて、生涯溺愛したらしい」というハラウェイネキとバトーのやりとりも好き。
・自分は子どもの頃、お人形遊びをほとんどせず、ラジコンカーに夢中になっていた。
・リカちゃん人形やシルバニアファミリーでもっと遊んでいれば、今の心の持ちようはもう少し違うものになっていたのだろうか。
・リカちゃん人形は自分の似姿だと感じられなかったから、夢中になれなかったのだろうか。
・過去の作品の引用文が頻出するのでまとめ記事を作ろうと考えたが、既にめちゃ作ってくださっているブログ記事を見つけたので、備忘のためリンクを貼っておく。
映画の解説・考察サイト 映画鑑賞中。
https://mofumuchi.com/innosence/
ナガテユカ『ギフト±』
・解体屋JKと臓器売買や臓器移植界隈のお話。
・生きたまま解体する系が多めなので、若干ぐろめ。
・194話まで読んだ。
・「刑期を終えたものの再犯の可能性がある殺人犯を、とっ捕まえて勝手に腑分けするのは倫理的にどうなのか?」というのが序盤のひとつのテーマだったけど、後半に登場する「臓器移植用の人間を作る」という選択肢よりは良いような気がしなくもない。
・自分が誰かを強く怨んで、万一自分の人生を犠牲にして殺してやったとして、既に自分の人生はめちゃめちゃになっちまってるから、腑分けされる側になっても仕方ないように思う。
・環ちゃんまじきゃわ。解体されたい。
・すぐ脱ぐ系セクシー女医ネキも好き。
亜樹直、的場健『サイコドクター』
・とある事件をきっかけに精神科医となった楷先生を中心として展開する、ハードボイルド心理カウンセリングアクション。
・68話まで読んだ。
・処方箋だけ渡してサヨナラする系精神科医が多い昨今で、こんなにも寄り添って治療してくれる医者はいないから、患者はありがたいだろうなと思ってしまった。
・ただし治療ははちゃめちゃ大規模で荒療治。楷先生の貯金も命も毎回心配になる。
・1990年代の社会についても学べる。こういう時代だったんやなぁ。
・コインロッカーの話が1番好き。新興宗教の話もすき。あと登場するおねえさん皆うるわしくて最高。
・人間の心を一定の基準で分析できるのって、やっぱり人間の思考や感情がシナプスを走る電気信号に過ぎないからなのだろうか。
セネカ『怒りについて』
・兼 利也 訳、岩波文庫、2018年。
・Kindleで読んだ。最近amazonに文化的な生活をすべて担ってもらっている気がする。
・べいやんさんからのオススメ本。
・第2巻の5章まで読んだ。
・学生時代、哲学をかじっていた頃に以下のことを考えたことがある。
・座禅を組んで、瞑想をしようと試みる。だが先程聞いていた音楽や、昨日口にした食事の味を思い出してしまう。何も考えないようにしたいのに、なぜか思い起こしてしまう。ちっとも瞑想なんてできない。つまり思考や感情は自分が主体的になっているものではなくて、脳の自動的な働きなのでは?
・死に行くひとが意識がないにも関わらず、病床に見舞いにきた孫の手を握る。死に行く本人は意識がないにも関わらずだ。そこに本人の意志はあるのだろうか?
・「例えば、冷水を浴びせられた時にたつ鳥肌。ある種の接触に対する忌避。悪い知らせに毛が逆立ち、いやらしい言葉に赤面が広がる。絶壁から見下ろすと眩暈に襲われる。こういったことはどれも、われわれの権能のうちにないから、それが起きないよう理性が説得することもできない。怒りは勧告によって回避される。それは心の、意志に関わる欠陥である。」という一節はかなり腑に落ちた。
・「何かを理解した。憤慨した。断罪した。復讐する。これらは、次々に接触してくる事柄に対して心が同意したという事態なくしては生じえない。」 このセネカの一節にも少し共感した。
・これまで感情はすべて自動的な脳の機能であって、自分の思い通りになるものではないという考えだった。しかし怒りについてはそうではないのか?
・ただ、セネカの述べる「怒り」は、心のうちに湧く感情と、他者から見える形で外面にあらわれるものを、しっかり切り離していないと思う。
・「外面にあらわれないように取り繕うことを、努力する必要がない」ということではないと自分は考えている。
・このあたりの切り離しがこのあと書いてあるぽいので、引き続き読んで改めて感想をまとめたいと思う。
以上です。
闇が深い作品は「いうて自分の社畜人生、たいしたことねぇな!」と思えて救われるから好きです。
苦痛への耐性は筋肉痛と同じで、段階を踏むことで鍛えられると思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?