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Photo by
riku_sugimoto
好きの反対は無関心なんだよ、おばさんへ
人に嫌われていた時期があった。多感な年頃で、女の社会にそれはよくあるものだと小さい頃から理解していた。
何せ私は三姉妹だからだ。必ず2対1の構図になる。私は三姉妹の末っ子で、上の2人とは歳が離れていたから、小さい頃はその様子を見守りつつ、2になったり1になったりしていた。
だから、小さい頃から人に嫌われる、ということがどういうことかよく理解していたつもりだった。寂しくもなるし怒りも込み上げるし、自分なんか、という気持ちも出てくるし、無性に悔しいとも思った。人間が元来備えている負の感情全てが剥き出しになった。
そして、人を嫌うという感情も理解していた。人に嫌われるぐらい負の感情が剥き出しになり、人に嫌われるよりも、よっぽどエネルギーを消費するものであった。
人に嫌われていたときに
「好きの反対は無関心だよ。」とか慰められた。うるせーバカやろーと思った。だったら、無関心でいてくれと思った。私の言動1つ1つを監視して、その1つ1つをバカにして笑わないでくれと思った。
無関心は優しさですらあった。
この前、夫婦で赤ちゃんを連れて出かけた。我が家では、外で赤ちゃんを抱っこするのは夫と決まっている。スーパーに行ったら、隣にいる私を無視して育児している夫を褒め称えた知らないおばさんに出会った。私のことは完全スルーだった。無関心であった。知らないおばさんに何故だかイラついてきた。
無関心は優しさでもないなと思った。正気の心を取り戻せた育休期間も残り1年となった。
夫に抱かれてスヤスヤ寝てるこの子もいつかは経験するのかと思ったら、一生分のハグとキスを毎日したくなった。