通勤時間。 駅まで向かうバスを降りると、駅前ロータリーで道ゆく人に挨拶をしている人がいる。 ひとりは、いつも中日ドラゴンズのユニフォームを着たスキンヘッドの人、◯◯氏としておこう。 もうひとりは、とにかく普通の人。なかなか特徴を表現することが難しい、●●氏としておこう。 私は知っている。 この二人は市議会議員だということを。 法律か条例かは知らないが、政策の話などをそこで行うことは好ましい言葉ではないらしく、二人とも挨拶をしているだけ。「ところで、あなたは誰ですか?」
ソヴィエト連邦の中学校の国語の教科書を想像してみる。 「あいつ、頭にくる!」 「またトロツキー君と喧嘩したの?」 この会話を聞いていた父さんが、新聞から顔を出して言った。 「ヨシフ、そいつは、お前の宿敵なのか?」 、、、残念ながら、その時、歴史は動いてしまった、ということになる。
出てきた結果がおなじだとしても、 周囲の反応が異なることがある。 どんな生き方が正しいとかそういうことを言っているつもりはないが。 色々問題を起こしてはきたが、結果でだまらせてきた、みたいな感じの人が、結果を出せなくなった時の風当たりの強さはなかなかのものだ。 どんな生き方がただしいとか、そういうことを言っているつもりはないが。
先日、職場のメンタルヘルス研修を受けてきた。 三十路という壁を乗り越えはや数年、 自分のモチベーションは自分で管理する年齢となってから、自分よりもだいぶ若い同期に混じって研修を受けるというのもなんとも不思議な気分だった。 こういった類の研修では、グループワークがあったりするもので、気分を変えるために聴く音楽などの話をしたりした。 こういうタイミングで何かを紹介するときに、それ自体の説明に物凄く時間がかかるものを取り扱うのはナンセンスというものだ。何を取り扱ったか忘れてし
長々とテレビを見ているのが苦手だ。 BSやNHKのしっとりしたバラエティやドキュメンタリーならばともかく、ドラマや歌番組などは特に。 この四月から一時的に実家に身を寄せているのだが、どうしても今のテレビをぼんやりとみているのが居た堪れなくなる時がある。そういった時にはどうしても自分の部屋に向かうことになる。 最近思うようになったのは、そのうちまた出ていくことになるであろう実家にいるうちに、なるだけ居間の中で同じ空間を共有することも、ささやかな親孝行なのではないかということ
この春、仕事の都合で9年振りに出身地である愛知県に生活拠点を戻した。 長いこと離れている間に色々な変化があった。 その中で、今回取り上げるのはこちら。 「県外に引越す前よりも明らかに中日ドラゴンズの扱いが大きくなっている」 引っ越す前よりもテレビやラジオの中継が増えたように感じている。少しはその枠を名古屋グランパスに回しなさいよと思う時もあるが。 週末に久々に試合が見たくなったが、その週は1軍は遠征だったので、ナゴヤ球場に行ったら、チケット完売で入れなかった。2軍戦は
年齢を経るごとにストレス耐性はついていくと一般的には言われている。 過去に失敗を重ねていることにより、あの頃よりはマシだとか思えたりすることが理由だとおもうが、年齢を経ることによって、この期に及んでまだこのような失敗を重ねているのかという、もっと若かった頃には存在しなかった別の感情が生まれてくることがあり、結局相殺されてしまってあまり変わらないんじゃないかと最近おもうようになった。 更新しよう、更新しようと思いつつもなかなか手がつかず、三日坊主になりそうなところ、出勤前の
先日、ショッピングモールに行ったところ、 入り口すぐそばのスペースに猫カフェができており、3方向が完全ガラス張りで中にいる人が外からはっきりと見える状態になっていた。 道ゆく人が足を止めて見ていたのは、 猫だったのか、 それとも、猫と戯れる人だったのか?
私事だが、 年度末に転職し、今の職場で働き始めてから半年が経とうとしている。 最近思うのは、 「この国はこんなにも3連休で溢れていたのか!」 ということ。 前職は3連休があるとそのうち1日は有給取得推進日になり、有給は年に5日やっとこさとっていた状態だったので、長期休暇以外はほぼ3連休はなかった。 だから、今日も思うわけです。 「この国はこんなにも3連休で溢れていたのか!」 次は何を発見することになるだろう?
戦争がおきなかったら、 あの人が能力を戦争以外のことに使っていたら、どんな成果を生み出したんだろう、 そんな世界線を見てみたかった、と思う時がある。 シモ•ヘイヘが、射撃のフィンランド代表としてオリンピックに出場していたら、金メダルを何個獲っていたか見てみたかった。 ヨーゼフ•ゲッペルスが、例の組織とはなんの関係もなく、普通の演出家やコピーライターとして活動していたら、どんな作品を生み出していたのか見てみたかった。
風呂に入る順番が最後になった。 風呂から出た後の、 片付け方に問題があったようで、 翌朝母親にひどく叱られた。 謝りはしたけれど、 その件は終わっていないからと言われたまま、 仕事に行って、 夜に帰ってきたら、 母親の機嫌はある程度収まっていた。 父親が、特に理由は明かさなかったが、 その日は、 なんとなく最後に入りたい気分だと言い続けていたから、その日は先に入った。 ありがとうとは、いいだせなかった。
先週末ぐらいから、咳が止まらない状態が続いていたので、病院に行ってきた。大事ではなかったので、薬を貰って帰ってきた。 診断 「声帯に炎症が出ています」 舞台に立つような人しか言われそうなイメージを持っていた言葉だったので少々驚いた。確かに、窓口対応などでずっと説明をしている場面は多々あるのだが。 仕事は何であれ、その場が各々の舞台、ということか。 明日は休演、月曜日から再び開演いたします。
名古屋市科学館でアルバイトをしていた時期がある。 ひときわ目を引く巨大なプラネタリウムは、当時は「ブラザーアース」と呼ばれていた。 初めのうちは、「地球上の生き物はみんな兄弟なんだ。」みたいな意味なんだろうなぁ、なかなか粋なネーミングだなぁと思っていたが、程なくして本当の意味を知る。 当時のスポンサーは、ブラザー工業(株)だった。 いつのまにか、プラネタリウムの名前が変わっていたことを最近知った。今は、「NTPぷらねっと」という。 NTPとは何の略か? n
外見の特徴 本の形をしている。単行本、文庫本を問わず。 状況 「学生時代に貯蓄した引き出しを切り崩しながら生きている。」仕事以外では恥ずかしながら、そう感じる時が多々あります。 元々、本を読んだそばから内容を忘れていってしまうたちです。以前、「一度読んだら絶対に忘れない読書術」という本を読みました。そのことだけははっきりと覚えています。 どこにどんな内容が書いてあったかまではっきりと思い出せる。そんな本がこれまでに中学から高校時代に読んだ本しかなく、30代に入った今日こ
仕事がそれなりの速度で終わった時は、 夜道を1人で歩いて帰る。 バスで帰ってもよいのだが、 ほぼ一日デスクワークの日々だから。 スーパーや病院のある通りをぬけると、 住宅が疎にあるだけの田んぼ道が続いていく。 用心もかねて、 何も音がしない時間がわびしいのもあって、 鞄の中に入れたままのスマホを、音量に気をつけながら起動して音声を聞き流す。 昨日は歴史ものの合戦解説動画。 今日はAマッソのラジオ。 足元に何かが乗った。 下を見ると大きなコオロギが靴からズボンへ渡ろうとし
今年の3月まで、標高が600m位ある街に住んでいた。日本で標高が500m以上ある場所に住んでいる人は、全体の2%位しかいないらしい。 どうやら、数ヶ月前までの自分は、思っていたよりも貴重な存在だったようだ。今は標高15m位の所に住んでいる。 その街に住んでいた時、家の近くにたまに通っていたチェーンのラーメン店があった。今の街に越してきてから知ったことだが、その店の系列店は全て潰れてしまっており、あの店が最後の生き残りらしい。チェーンのラーメン店であるにも関わらず、商店