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#1 はじめまして 自己紹介

はじめまして、限界先生といいます。小学校教員をしています。
まず、この記事に興味をもってくれてありがとうございます。
今日は、「自己紹介」、「どうしてnoteを始めようと思ったか」、「これからどんなことを発信していくか」について書こうと思います。

「自己紹介」

私は、小学校教員として働いて8年目で、妻と子どもが1人がいます。

教員になりたいと思ったきっかけは、小学校の頃、友達に算数を教えたことを担任の先生に褒められたこと、高校の頃、最後までしっかり話を聞いてくれる担任に出会ったことなどでした。
大学時代に、小学校と高校それぞれの教育実習に行きましたが、小学生のキラキラした姿がとても魅力的で、小学校教員として働きたいと思いました。それから講師を経て、正規の教員になりました。

ですが私は、とても不安性で傷付きやすいタイプだと思っています。
小さいころから、両親に厳しく育てられ、常に怒られないよう顔色をうかがいながら生きてきたからかもしれません。
また、とても緊張しいで人前で話すことがとても苦手です。
「うまくやらなくてはいけない。」という思いが強く、教育実習の時、授業の流れをプリントした紙を脇に挟んで授業をしていたら、汗で文字が滲んで読めなくなってしまったこともあります。(笑)
そんなことから、「うまくいかないなぁ。」という経験が多く、私は自分が好きではありませんでした。それは今もかもしれません。
そんな自分が好きではないからこそ、自分と関わる子ども達には絶対にそうなって欲しくないと強く思っています。
なので私は、「子どもたちの思いに寄り添い」「一人一人が少しでも自分のことを好きになれるよう」に、サポートできる先生でいたいと思って働いてきました。
採用されてから3年間、少しでも自分と関わる子ども達が楽しく学校生活を送れるように、保護者から信頼される先生になれるようにがむしゃらに仕事をしてきました。

「どうしてnoteを始めようと思ったか」

教員6年目。結婚し、子どもの保育園の迎えのために仕事を切り上げたり、休日に仕事をしに行ったりすることもありました。
行事などの特に忙しい時期には、日付が回る直前まで残業する日もあり、子どもが起きている時間に帰宅できない日が続くことがありました。

そんなある日、保育園から、
「最近、よく泣くことが増えています。理由を聞くと、パパに会いたい。と涙ながらに話してくれます。」と連絡帳が来たと妻から知らされました。

私は、何も言えませんでした。
目の前の一番大切にしなければいけない我が子にこんな思いをさせながら、教員としての仕事を続けていくことに違和感を感じました。
その頃から、職員、保護者、学級、家庭いろいろなことに思い悩む時間が増え、気付くと体に異変が起きました。病院に行くと「適応障害」と診断されました。
教員は素敵な仕事です。
でも、自分の心身も健康でなければ続けられません。
なので、「自分のことを好きになって、納得して生きていくにはどうすればいいのか。」ということに真剣に向き合おうと思いました。
私ほどではなくても私のように、このようなことに悩んでいる人はきっといると思います。
だから、これまでの自分自身を振り返り、感じたことや考えること、これからのことを発信していきたいと思っています。

「これからどんなことを発信していくか」

自己紹介でも書きましたが、私は自分のことが好きではありませんでした。仕事でもプライベートでも、「不安になること」や「自分自身を責めること」がたくさんありました。
そして、適応障害になったことをきっかけに、「自分のことを好きになって、納得して生きていくにはどうすればいいのか。」に真剣に向き合いたいと思いました。
これからはその実現に向けて、自分自身の考えや行動について発信していきたいと思っています。
ジャンルとして、「不安との関わり方」「心穏やかに過ごすための考え方」などを中心に発信していきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次も読んでくれたら嬉しいです。





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