見出し画像

平和について考えた時、教育にたどり着いた

中国南部の深セン市で、日本人学校の男子児童が刃物で刺された事件で、男子児童が19日未明に死亡した事が分かった。

FNNプライムオンライン

国家間の思想も歴史も知らないであろう10歳の命が奪われた。
昨日までの投稿コンテストの題材が、『未来のためにできること』であったが、子どもの命とは、未来そのものである。
このニュースを見たとき、私は怒りで震え、母親の心情を思うと、胸が張り裂けそうだった。

私ひとりには国を動かす力はない。
でも、たくさんのひとりが集まって、国はできている。
ならば、私にできることは何か。

優しい心を持った″ひとり″を育てることだ。この、"ひとり"に命と平和の尊さをを滾々と教え込むことだ。

今回の事件の背景に、国による反日教育があると予想した時、ある小説の一文が思い浮かんだ。

十分な知識さえ授けておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときにも、何が義であり何が不義なのか、子どもたちは自分の頭で判断することができる

みかづき/森絵都 

この小説は戦後日本における教育の実態について描いたものである。日本には「お国のために死ぬことは名誉なことだ」と教育され、戦死を強要された悲しい歴史がある。この小説の一文からは、そんな時代を生きた人にとっての、歴史を繰り返すまいという強い信念が感じられた。
そして、中国の反日思想の根源もまた、教育にある。今回の事件で、教育とは人を殺しも生かしもするものだと、改めてその重要性を痛感した。

私には、1歳と3歳の子どもがいる。
私が今、教えられることはなんだろうか。

例えば困っている人を見かけた時。
手を差し伸べる姿を見せよう。

例えば喧嘩をした時。
分かり合えないこともあること、歩み寄ること、暴力以外の解決方法を教えよう。

例えば障がい者を「あのひと変だよ」と言った時。
自分と違う、みんなと違うことが”変”ではないということ。違いを受け入れ(難しい時はそっとして)、互いを慮る気持ちを忘れないことを教えよう。

そうすればきっと、優しさは連鎖する。大切にされた誰かもきっと、他の誰かを大切にできる。
幼少期に培われた優しさという人の垣根は、ゆるぎないものになる。
このたったひとりの微力な私が、もうひとりの微力な誰かを生み出し、それが広まって、広まって、今より少しでも世界が明るくなることを祈って。

いいなと思ったら応援しよう!