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75.修養科物語(1)-イエスを殺した連中-

ある日の夜、妻と自室でくつろぎながらテレビを観ていた時のことだった。

うつ病を患った若い一人の女性の日常を追ったドキュメント番組が放送されていた。その番組の中で「うつとは本来、年配者が罹りやすい病気だった」といった旨のナレーションが流れ、「えっ、そうなの?」と隣に座っている妻に訊ねる。
「わかんないけど、そういうイメージがあったらしいね。だから認知症と間違われることがあったって話はどこかで聞いたことがあるよ」
「へぇ、そうなんだ」
「それに、私も病院に通っていた頃に“あなたの症状は重いから、もしかしたら改善するまでにかなり長い時間がかかるかもしれないし、そういう人は比較的若いうちに認知症を患う可能性が傾向としてある”って先生から言われたこともあったしね」

かつてその病気を経験したことがある彼女のその何気ない一言に、ふと、20代の頃に過ごした修養科での日々の記憶が、私の中に甦って来た。
Tさんという同期の修養科生の若者がいた。彼のことを。
そして、それと同時に垣間見ることのできたある奇跡的な出来事を。


真夏の修養科生活

200×年8月。私は24歳の夏にいちれつ会の扶育金をいただいていたお礼づとめとしての本部勤務を終え、修養科7××期に入学した。(受講とでも言うべきだろうか?)

その3か月たるや、神苑の間近で数年間の暮らし、自堕落だった大学生活や勤務生活で流れていた頃の日常では感じ得ない新鮮な毎日だった。
話には聞いてはいたが、実際はやはり余命宣告を受けていた重い身上を患ってらっしゃる方、様々な事情を抱えて行き詰まり、転機として志願された方、刑務所から出所してそれほど間もない方など、クラスメートは実に様々な人が集まっていた。前科者、元ひきこもり、知的障害の方、年収3,000万だった時もある元一流企業のエリートの方、本当に、様々。 
天理教のテの字もわからず、ただ勧められるがままに来たという若い人もいた。

漠然とではあるが教会で生まれ育ち、天理大学で専門的に学んできた私にとって、そこで出会う彼等が抱く教理への素朴な疑問や発想に、ちょっとしたカルチャーショックのようなものを覚えていた。
と同時に、自分自身の中にある、無意識のうちに培われていた教えに根差す感覚というものを発見し、そのことにもまた小さな驚きを感じていた。
私という人間の人格は既に、天理教とは容易に分けては説明し得ないものだったことに、改めて気づかされたのだった。

そういうわけで、奇しくもこの人類の故郷・親里の地に、同じ時間・同じ場所に寄せられることとなった縁の深いであろうクラスメイトを、己自身を映し出す鏡の存在とし、彼等との日々の中に自らの心を見つめ直す機会を度々見るようになっていった。

ひのきしん割り当てを担当する4番組係を指名され、最初は人手の少ない季節の割り当てのやりくりに少々不安を感じていたが、幸いクラスの皆さんは誰もが協力的で好感の持てる人達ばっかりだったので、そういった心配はすぐに拭い去られていった。

例年にない猛暑が続いていたが、早朝の神殿掃除から始まり寸暇を惜しんでの廻廊拭きや、個人的に心定めしていた十二下りのおつとめ、おさづけのお取次ぎ…それはとても充実した毎日だった。

単調で素朴な、だけど身体ばかりはとにかく忙しく、そのおかげで余計なことをあまり考えなくても日々だからだろうか、いつしか“おふでさき”や“みかぐらうた”の地歌に親しむ度にどこか心が澄んでいくような心地がしていたし、まるで親神様やおやさまからのメッセージが胸の奥に深く沁み込んでいくような気さえしていた。蝉の鳴き声ばかりはけたたましかったのだけれど、静寂にも似た時間を味わえていた気がしてた。



Yさんというミステリアスな同期との出会い

パーキンソン病を患い、車椅子で志願してきたYさんという50代の男性がいた。ある時私は、ふとしたキッカケで彼の車椅子をトイレまで押して連れていったことがあった。
Yさんは礼を述べつつ、どこかミステリアスで、意味深な物言いを匂わしていた。

「天理は神に守られた聖域だと私は感じています」とYさん。
「そうですか、そのように感じますか。私にはずっと暮らしていた当たり前のような風景ですが。…新鮮だな、Yさんみたいな方からそういう言葉を聞かされると」
「私も長い間、命の危険に晒されながらの日々でした。だけど、ここはいい。ここなら安全に身をとどめておける。この場所で静養することが出来れば、私の病気も大分よい方に向かっていきそうな気がします」

命の危険? 妙なことを言うなぁと、半ば冗談気味に受け取って私は、

「そうですか、命の危険ですか(笑)一体、誰に狙われていたんですか?」
とそれに受け答えすると、間をおいてYさんボソッとこう言った。

「…イエスを殺した連中ですよ」

Yさんは真顔で、まるでふざけてなんぞいないといった表情だった。
思わず私は言葉に詰まる。

それから続く彼と遣り取りは、その後の私自身の生き方や考え方に、少なくない影響を与えることになるのだった。


つづく


おまけ

Yさんは一体何者なんでしょうね?
これね、フィクションじゃないんです。実話です。
つづきはどうなるんでしょうね、一体。

今回、西村先生のイラストをお借りしました。
いいイラストだなあと思ってつい。。
お世話になります(^^)
それではまた‼

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