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138.優しい言葉が持つ力

ついにあの日のことを語る時が来た。

思い出す度に胸が疼く、あの春の日の出来事を。

自らの未熟さ、至らなさが原因で傷つけてしまった彼女の、あの真っ白な…。



時は、2016年、4月。



教祖誕生祭におぢばに参拝されない方の為に、その当日、教務支庁では遥拝式がつとめられている。私もそれに参加しようと思っていた時のことだった。

時間に遅刻しまいと少々急いでいたこともあって、十分な注意を怠っていたからだろう。車にエンジンをかけて方向転換しようとバックした時、後方でガシャン! という鈍い衝突音と何かにぶつかった振動が伝わって来た。

恐る恐る振り返ってみると、そこで目にしたものに、見る見る血の気が引いていく。

共同の駐車場。

いつもなら、そんな場所に停まっていない筈の誰かの車が…。


文句なしに100対0、こちらが加害者となった自動車の衝突事故。

しかも…どう見たって相手の車…ピッカピカの新車だ。

被害者の、これを知った時の怒髪天の激昂を想像し、益々青褪める。

せめてもの救いは、相手側は(敷地内とはいえ)本来駐車すべきではないスペースに駐車している無人車だったことだ。

半ばパニックになりながら警察を呼ぶ。
事故証明が済むと、お相手の連絡先がわからないので、ワイパーに自分の電話番号を書いた紙を挟め、そそくさと教務支庁に向かう。

白い装体の三菱・ekワゴン。

運転席側の車両前方が無残にもぶっ潰れている…。
ほんのちょっとバックしただけだったのに。
昨今の軽自動車の薄っちょろい脆さがどうにも恨めしかった。


教務支庁で教友さん達とご一緒している時も、ハラハラ落ち着かない心をひた隠しにしながら、懸命にみんなの前では笑顔を取り繕っていた。


そして案の定、被害に遭われた車の持ち主の方(若い女性だった)の怒りは相当なものだった。

購入したばかりでつまらない傷をつけまいと思い、両側を知らない誰かの車で挟まれている自分の駐車スペースに停めるのを避け、わざと離して関係ないところに置いたらしい。

ピカピカのまま、なるべく長く、大事に乗ろうとしていたんだ、彼女は。


しかし…。

そういう浅はかな配慮をいとも簡単に飛び越えてくるやばいやつ(ピーナッツ)が運悪く同じ駐車場を共有し、そして彼の者の鮮やかなまでのドライブテクニックによって、出会ったばかりの恋人(愛車)が無残にも屠られようとは。


彼女はまだ若く、社会人になって日も浅い(推定)。

きっと待ち焦がれた新車だったのだろう。

そんな夢にまで見た(推定)うきうきカーライフは、男のちょっとした不注意によって秒で脆くも潰え去る。きれいな顔面を傷物にされる恋人(愛車)。


嗚呼、なんという業の深さ…!


…わかっている。

非は、己にある。

重々承知していた。
だから、自責の念たるや凄まじく、その上なおも、方々(妻、両親)から非難と叱責がこれでもかとばかりに飛び交った。

罪の意識に苛まれ、身悶えるピーナッツ。

許してくれ、わざとじゃなかったんだ。

君を傷つけるつもりはなかったんだ。

それなのに、うぅ…。


そんな、切羽詰まった私の心を救ってくれたのは、顔も素性も知らぬ保険会社の女性オペレーターが見せてくれた優しさだった。

彼女のマニュアルに沿った業務的優しさに、行き場を失いかけていた私は、一体、どれほど救われたことか。


私はそこで、大いなる気づきを得ることとなる。

即ち、苦境に立たされ窮している魂を真に救い得るのは、正論や説教・改悛への促し等ではなく、一にも、二にも、またどこまでも行っても、苦しむ者に天使の如く、女神の如く寄り添う、あたたかみに満ちた優しい言葉、ただそのものなのだと、学ばせてもらったある年の春の出来事だった。

【2018.4】



おまけ

こんにちは、ピーナッツです(・ω・)。


菊池寛の『恩讐の彼方に』のページを開く度に、あの頃の、彼女に許しを乞う自分自身の魂の嘆きに思いを馳せます(嘘)。

新車破壊、本当に申し訳ないことをしてしまったと今だに忘れることができないエピソードでした。
あの子(直接会ってもいなければ、話もしていない。全て東京海上日動が間に入って下さった)、その後修理して乗り直したekワゴンを乗り終えた後、再び新車を購入することは出来たのだろうか。きっとトラウマを与えてしまったんじゃないかと想像し、いたたまれなくなる。
すまなかった、娘さん。

その事故の交渉の渦中で、4月20日、三菱自動車の燃費不正問題が発覚。なんと渦中のekワゴンもバッチリその対象車だったのがまさに驚きだった。


買った直後の新車がぶつけられて燃費不正が発覚して。
彼女、ホントに踏んだり蹴ったりだっただろうな…。
(蹴ったのは俺なんだけど)


まるで東野圭吾作品ばりの、複雑な人間心理が交差した痛みの物語だった。


ふざけているつもりは更々ない。
どこまでも自身の禊だと思って、この度の告白に至ったことだ。

そして、苦しい時にこそかけられて心から救われるのが“優しい言葉”。

学ばせてもらったよ、本当に。

俺はこれから先、出会う何百人もの苦しみを抱えた誰かに、あの日自分がしてもらったように、優しい言葉をかけ続けることになるだろう。

だから君の心(ekワゴン)の痛みは、決して無駄じゃない。

遠い未来の誰かを救う為に、あの日があったのだと信じて。(それでもホントにマジでごめんだったけれど)


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ここまでおつき合いいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)

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