27.その代わり、何を差し出す?
夕方、娘の部活動の終わりに迎えに行き、帰途の車の中でのやり取りです。
「お父さん、私、ああいう今よりももっと広い、二階建ての新築の家に住みたい」
と、ポツリとつぶやく娘。
その視線の向こうには、彼女が言った通りの新築一戸建てが伺えます。
そうだよねぇ…(・ω・)
と何気ない返事をする父・ピーナッツ。
私達は現在、家族5人で平屋の借家に暮らしています。
移り住んで来た当初はこれで十分でしたが、段々とこども達が成長するにつれ、明らかに手狭になってきました。こども達に自分の部屋などなく、精々簡易的な学習机ぐらいしか各々の自治領は存在しません。
越してきた頃は小児だった娘も最早中学生。
本当なら自分の部屋、プライバシーを守れる空間が欲しいお年頃なのです。
ねえ娘ちゃん、じゃあさ、もしもこういうのだったらどう?
今言っていたみたいな大きな家に住める代わりに…。
「うん」
娘ちゃんが今よりめっちゃブスになっちゃうのは。
「えー嫌だ」
そんなもしも話。
更に続けます。
じゃあさ、容姿が今のままで、大きな家に住めるんだけど…。
「うん」
娘ちゃんは病気になっちゃって、毎日いつも薬飲んだり具合が悪くなる身体になる。
「それも嫌」
じゃあさ、容姿が今のままで、身体も今のまま健康で、大きな家に住めるんだけど…。
「うん」
お父さんとお母さんがめっちゃ仲悪くていつも喧嘩している。
「…どれも嫌」
父・ピーナッツのもしも話がひとしきり言い終わると、
人間ってさ、もう既に持っているものには気づきにくいのに、今持ってない、欲しいものには敏感なんだよね。
娘ちゃんが今欲しがっている大きな新築の家に住んでいる人はたくさんいるけれど、その子は(自分の見た目がもっと良くなればいいな…)って思っているかもしれない。(生まれつきのこの病気がなかったらいいのに…)って思っている子もいるかもしれない。(お父さんとお母さんがもう喧嘩しなければいいのに…)とか願っている子だっているかもよ。
みんなね、今持っていないものさえあれば、それがただ単純に増えたらもっと幸せになれるって、幻想を抱いているんだよ。
割と賢い娘は、頭では私の言っていることを理解します。
当然、まだ子供なのだから、心情はそれに追いつかないだろうけれど…。
見落とされている代償
私達はなにか欲しいものがあった時、漠然とそれが今の状態に+αされているイメージを膨らまします。
だけど、そこには大きな見落としがあると私は思うのです。
一番わかりやすいのがお金。
単純にお金が欲しいと思ったら、それがどこかに落ちていたり、天から降ってくるのを待つという方法はありません。
働いて、時間と労力をそれに費やして、その代価としてお金が手元にやって来ます。今以上にお金が欲しいと思ったら、それに見合った何らかの工夫や時間と労力をもっと投入する必要があります。
私達は、何かを欲するとき、それ相応の代価を差し出すことが求められます。今このままの状態から何も失うことなく、何も苦労することなく、欲しいものがただ単純に増えることを願望しますが、それは先ず叶いません。それこそ無理な願いなのです。
未婚独身者や、あるいはそんな息子・娘を持ち、気を焼いているご両親もまた、配偶者の出現は即、現在の幸福度に+α加算されるような幻想を抱きがちですが、現実は全く別です。
これまでの自分達の長年のルールでやって来れた自国領内に、全く異文化・異質の外国人を受け入れ、更にその人に多くの権限を譲渡するというような緊張感をはらんだ新たなフェーズに突入するわけです。これは経験済みの多くの方が共感されているのではないでしょうか?
私の場合、妻を受け入れる際に、当時ずっと大切にしていた様々なものを処分する形で新メンバーの空間を確保せざる得ないスタートとなりました。
更に、長年住み暮らしていた自室(教会内の一室)の主権を妻に譲渡し、空間や財産(物全般)の主導権がそのままひっくり返ってしまいました。(もっと深刻だったことが色々ありましたがこれは割愛致します。どうぞご察しください)
そうやって国譲りしながら夫婦・親子の生活が始まっていきます。
子が生まれると、喜びと共に更に未知の領域が姿をあらわします。
独身時代では想像もつかなかった多くの時間、労力を引き換えにして家族を築き上げていったわけです。
なにかを欲することそのものは悪ではありません。
ただ、そこには確実にそれに相応しいだけの代償がちゃんと求められるのです。
なにかを差し出しながら、引き換えにしながら、また別の何かを得ていくようになっているわけなのです。
そういったある種の法則があるということはさておいて、私達は少なくとも、今現在持っている多くの何かがあって、それが何なのか、ひとつひとつ思い浮かべながら数えて見るのもいいかもしれません。
仮にいま健康であったとしても、いつかはそれを手放す時がきます。
仮に家族がひしめく生活に種々の煩わしさがあったとしても、ひとりも欠けることなく現行メンバーで最後までやっていくということはおそらくないでしょう。
友人、人間関係、それらの付き合いに面倒なことが生じていたとしても、いつかはみんな自分の前からいなくなってしまいます。
それを考えると、代価を差し出して得る何かの前に、今既にもう手元にある多くのものに焦点をあてて日々生きていられたら、そっちの方が多分いいんじゃないかって、そんな気がするんです。
娘ちゃん、“広い家、自分のお部屋”は当面遠い願いかもしれないけれど、今はお母さんからのお下がりのスマホでささやかに謳歌するJCタイムでなんとかかんとか満足してください(;´・ω・)頼む。
【2024.7.2】
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^^)