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124.生とは何か・死とは何なのか?

魂が成長できる期間

ある時、布教道中で知り合った老女性から「生前不仲だった夫が何度も夢枕に立っては私を苦しめるので困っている」という相談を受けたことがあった。

どうすれば夫の魂を納得させて成仏させられますか?
その筋の専門家に依頼して何度お祓いをしても何の効果もないのです。

彼女は私はそう問いかける。

私はこう答えた。

「いくら夫さんを納得させようと思っても無理だと思います。なぜなら、一度身体から離れた魂は、その状態で何かを学んだり、成長したりすることはないからです。既に亡くなった方の魂がおかれている状況を改善してあげようと思うのなら、その死者ではなく、生前関わり深く、そしていまも生きている遺族の方で、誠意を尽くして本来向かうべきところへ運んで差し上げるしかないのです」


魂は肉体を通してのみ物事を経験し、磨かれていく。

人が成長できるのは肉体をもって生きている間だけであり、この世は魂の成長の場・魂の学校とも捉えられる所以である。

仮に、さまよってしまい、未だ旅立つことのできないでいる魂があるのであれば、それを祓ったり退散させたりするのではなく、生者が真実を込めて死者に祈りを捧げ、その心を慰めてあげることが最善ではなかろうか。

逆に言えば、命ある限り、身体が不自由な高齢者といえど、本人次第で魂を磨いていく余地は最後まである筈なのである。



“命”をいただいて生きている

食用牛の解体業者は、牛を解体していく作業を“殺す”とは表現しない。かわりに“牛の命を解く”という。

これは、解体現場に運ばれてきた牛が直感的に感じている死の恐怖から解放してあげるといった意味合いが込められているのかもしれないが、とにかく解体業を営む彼等は自らの生業に誇りを持ち、人間社会にその命を捧げる宿命にある牛達一頭一頭と、毎日真剣に向き合っている。

そんな彼等が、時には思いがけず牛を殺してしまったと、深く後悔する瞬間があるという。一体どんな場面か。

それは、解体工程で自らの不手際によりミスを起こし、食用になる筈だった部位を捨てざる得ない状態にしてしまった時なのだそうだ。

食べることのできるものを粗末に扱ってしまった時、それは牛の殺害を意味し、してはいけないことだとされている。

これは食牛解体に限ったことではない。

食卓に並ぶ食べ物のひとつひとつ、どれも皆、かつては命が宿っていたもの。命のないものを食すことは先ずありえない。

そうやって沢山の命をいただいて、今日を生かさせてもらっている。

「いただきます」の精神を忘れてはいけない。

殺してはいけないのだ。


いのちは変わり続け、永遠に生きる

『葉っぱのフレディ』という童話をご存知だろうか。
アメリカの哲学者レオ・バスカーリオアの作品で、名作である。

ある大木の枝の葉っぱとして生まれたフレディが、春夏秋冬を経て、やがて死を迎える物語。冬が迫り、枯れ葉となり散っていく間際、死に怯えるフレディに同じく葉っぱの友人・ダニエルはこう教える。

「世界は変化しつづけている。変化しないものは一つもない。死ぬということもそうさ。だれでもいつかは死ぬ。でも“いのち”は永遠に生きている」

そうして枯れ落ちるフレディは死の恐怖を受け入れ、静かに眠るとそっと根元の土に還っていった。

寒く厳しい冬が終わりを告げ、やがて春が訪れると、木の枝に、また新たな命がいきいきと芽吹く。それは風に揺れ、青々と生まれ変わった新しい彼の姿だった。

死は、その人の一生を描いた物語の終わりかもしれない。

でもそれは、その人そのものの終わりでは決してない。

姿かたちに変化はあっても、いのちは絶えず連続している。
変わり続けるものであり、消えてなくなるものではない。

暫しのお別れの間、当事者には準備期間が用意されている。
また、次の新しい物語を始めるにあたっての構想を練る為に。

“さよなら”は、ほんの一時。

いずれまたあなたに会える。


【2017‐2018】


おまけ

雪国の冬休みはそうでない地域よりも少しだけ長く、こども達は間もなく始まる3学期の準備にやや慌ただし気な様子を見せています。

今回の記事は、教会報に掲載していたコラム3つを一本にまとめてみました。「生とは、死とは」は私にとって終わりのない問いでもあります。

最後の「葉っぱのフレディ」の話は、当時、私の教会にとってとても大切な信者さんがお出直しした直後に書いたものでした。日参を欠かさない、教会になくてならない方でした。亡骸の納められた棺を前に妻やこども達がみんなで泣いていたことが印象深いです。当時は本当に残念な気持ちでいっぱいでした。

死は時に不条理にさえ思います。

なんでこの人はいま死ななきゃならないの?

なんで?

…そういう問いが渦巻くこともあります。

でも、だからこそ考え続けていきたい。

それは、万人共通の回答には行きつかないことだったとしても。


ここまでおつき合いいただきありがとうございました!
それではまた次回もよろしくお願い致します(^^)

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