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150.八町四方の壁の向こう側へ

昭和28年(1953)4月18日、教祖70年祭活動に向かう三年千日初年の教祖誕生祭の日に、当年祭活動の具体的構想が本部会議所において発表された。

教内主要(本部員・本部在籍者・直属教会長・教区長・年祭準備委員)に対し、年祭を迎える心の在り方を話された後、具体構想の第一としてお屋敷周辺の施設の整備拡張、並びに親里一帯に及ぶ普請諸計画が二代真柱より説明される。

世にいう“おやさとやかた構想”である。

大体今の私の考えでは、かんろだいのぢばを囲んだ八丁四方に、三階乃至それくらいの建物をずっと廻しまして、平時まず別席場とし、また学校の教室として使う、あるいは今まで外へ外へと拡がっていました信徒詰所の様子を、今度はなるべくしんに近いところに、信徒が宿泊するような計画を進めたいと思っているのであります。一応こんなものを考えて、手のつけ得られる所から、工事にかかりたい。一遍にこれを三年千日の間で全部やるという意味でもないのです。一応、出来るすじからやってゆきたい。
そのうちで、まず別席場でありますが、一万人がはいれる別席場とするには、百人入れる室が、百ということになるのでありますが、そんな部屋を設けたい。もし、いろんなことでそれが遅れてくると、今までの木造の建物を使うようなことになると思いますが、なお、これは別席場は一時の仕込みではなしに、永い仕込みである学校の方の教室にも割ってゆきたいと思っています。
そして、私の大雑把な考えからいきますと、東半分は別席場といろいろな教室を置き、西半分信徒詰所をもってゆきたいと思っている。

『天理時報』昭和28年4月26日号



1万人が一度に別席を受けられる巨大施設という構想は、令和の現在において途方もない印象しかないが、当時、この発表前年の昭和27年10月秋季大祭日である26日その一日のみで、初試験志願者(現在での御誓い)は2,716人、総別席者数10,616人(これが本教史上、一日の別席者最高レコード)が記録されというから、決して突飛な発想に基づいた計画案ではなかったことだけはうかがえる。


天理教集会史議事録上の遣り取りから見てみると、このおやさとやかた構想に向けた予算編成はそれに携わった方々にとってなかなかの地獄だったのではないかと推察されるものがあるが、必ずしも満場一致の声で進んでいった方向性ではなかったこともまた、想像に難くない(そりゃそうだろうね)。

ちなみに、この頃の集会の議事録をざっと眺めていると、前述のおやさとやかた構想に向けた会計の支出をめぐって、

昨日(昭和29・3月頃)表統領は、去年の同期と比較して、別席者は五千数百名増加を強調されたが、これを一教会平均すると、一年かかってようやく五人弱である。この事実は、本教が現在新しき信徒を獲得する処女地布教が、いかに低調であるかを示している数字である。すなわち従来ある信徒の修理にのみ急して、本教信仰の大道であるにをいがけ信仰がいつか失われつつあるのは、将来恐るべき大欠陥ではないか。
(中略)
お与えはその働きによる神様よりの結果である。働きとはたすけ一条で、神域の拡張も諸施設の整備も、たすけ一条を中心としたその結果における神よりのお与えであると思う。たすけ一条の使命を忘れた施設の整備は、やがて伽藍宗教として、私たちの前に力を失った哀れな姿が幾多披露されている。
(中略)
たすけ一条を軽視した予算編成で、どうして所期のお与えを頂くことができようか。たすけ一条を根幹とした予算の組み替え、また補正をなすお考えはなきや。

天理教集会史第一巻より


…と、N教議員(現在の集会員)より、施設の拡張整備に重きを置いて「お金が足らないのよ」とのたまっている本部サイドからのやかた構想への支出案以前に、そもそももっと他にやるべきことがあるんじゃねーの? という気骨のある鋭利な論調による詰め寄りが、時の表統領へ向けて発せられている。

現在の集会の姿からはおおよそ想像もつかないような気迫を文面からもしっかりと感じ取れる。昔の先生方はやはりすごかったんだな、と。

そういった喧々諤々の議論を繰り返しながらも、やかたの建設は始まっていく。ピーナッツ自身も最早鬼籍に入ってしまわれたかつての古参信者のおじい様おばあ様方より何度か聞かしてもらうことのあった、昭和の、文字通り泥にまみれた在りし日の血気を。



…現在、構想発表から70年経った今もなお、八町四方の壮大なおやさとやかたは未だ完成を見ない。

というか、多分もうこれは無理でしょう。

むしろいつ、どの時点でこれを正式に方向転換するのかなぐらいに思っているピーナッツ。なかったことにしてしれっと全く別な方向にシフトしてもそれはそれで別にいいんだけれど。






で、ここまでが今回の前置きである。

実は、おやさとやかたについて書こうと思ったわけではない。

それどころか、そこから離れて行ったある二人の人物の手記に偶然触れ、長らく手元に置いていたものについて言及してみたくなったのがこの度の本題なのである。




自分という“影”を守る

大学生の頃、ピーナッツは村上春樹の作品を好んでよく読んでいた。

村上春樹の特集を組んだ別冊宝島の文庫本を買って読んでいると、あれ、おやおや~と、とある文章が目にとまる。

春樹作品の最高傑作として評価名高い、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』文庫本上・下巻


それは、それに関連した作品解説だった。

『「風」と「かげろう」の70年代末。共同幻想の「世界」へ移り住む』
街の中心の聖なるひと坪に、「世界」の中心であることを示す柱が立っている。そこから東西南北に800メートルの距離をおいて、聖なる中心を守るように4層造りの建物が建っている。それは城壁とも見てとれるが、囲み内部の人々の暮らしに役立つと思われる様々な施設が内蔵されている。
その東の城壁の端から、午後2時になるとのんびりした旋律が1分間流れる。この「世界」の存在を予言したその土地大和の赤衣を着た老婆が、迸る水のように口ずさんだのどかな楽曲だ。たたずまい自体は古代的なこの「世界」の住民は、「午後2時の旋律」が流れると、みな立ち止まり、聖なる中心を向いて頭を垂れる。
この「世界」に移り住むためには、城壁の中の教育施設で、今も魂が生きているという老婆の生い立ちと事歴と救済の言葉を、9回連続聴かなければならない。同じ話を9回聴くのだ。
70年代がたそがれて、『風の歌を聴け』で有望な作家がひとり忽然と出現した頃、私はこのような「世界」の囚われの身となり、朝な夕なに聖なる中心の柱に向かって歌と手踊りを捧げていた。それがこの幻想共同体の「祈り」の形式なのだった。

別冊宝島編集部編『「村上春樹」が好き!』



……え?


……これ。


完全に天理教の人じゃね?


思わず筆者のプロフィールに目が行く。


五十嵐裕治
1949年生まれ。エディター、ライター。慶應義塾大学経済学部卒。
講談社の『少年マガジン』編集部を皮切りに、巨大宗教教団機関紙デスク、印刷会社チラシ文筆家、脳力開発マシン販売部長、ニューエイジ、会社副社長、ダイエット食品、会社宣伝部長など様々な職業を遍歴。
利き酒師でもある。

前同


…道友社勤務経験者なんだ、ということが容易に想像がつく前歴を目にする。

後に、過去の養徳社・陽気誌を片っ端から乱読していた時に偶然、この五十嵐氏が同誌の懸賞小説に当選し、その小説作品が掲載されていた。やはり道友社・教会本部勤務者であったことがそこで判明する。ちなみに、陽気誌に掲載されていた筆者の小説は、当時の教内ではあまりウケなさそうな内容だった。

彼は、『限りなく透明に近いブルー』というセンセーショナルな作品を持って『群像』新人文学賞を受賞し、鮮烈な文壇デビューを飾った村上龍の登場の翌年、同文学賞に小説を投稿すると共に、勤めていた出版社(道友社)を去る。ちなみに投稿した小説は3次選考まで残ったという。
村上春樹が『風の歌を聴け』という作品で同賞を受賞したのは、その翌年のことだったと述懐している。

彼はその後もこの解説文の中で度々、自身の天理教との関わりと、そこから抜け出していったことに関連したことに触れていく。

作家は、あらかじめそのような珍妙で過酷な現実は想像力の世界で描けるといわんばかりに、「高い塀に周囲を囲まれた街」の日常を細密に描く。

この街にやってきたとき、僕は門番に自分の影を預けなければならなかった。
「それを身につけたまま街に入ることはできんよ」と門番は言った。
「影を捨てるか、中に入るのをあきらめるか、どちらかだ」
僕は影を捨てた。
         
(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)

私は、奇妙な幻想が地上につくり出した城壁に囲まれた街に住むために、世俗の「影」を捨てたふりをしていた。「城壁」をたまに出れば、「影」は全身の3倍にも伸びて「本体」となり、輝いた。

前同

そう、この世界と適当に折り合いをつけるためには、雨の日には雨の一部になったと想い、風の吹く日には風になったと想うほかないのかもしれない。それが「癒し」となるかどうかは、君やあなた自身の問題であり、私には関わりのないことだけれども。

作家と同じ齢の、かつて不可思議な「世界」に囚われていた男はいま、「影」を薄めないように、薄められないように、とりあえず注意深く生きている。

前同


ここで頻りに述べられている、“影”とは一体何を意味するのか。

ピーナッツの拙いなりの解釈では、美しく施された、見えにくい同調圧力下で抑圧された本心、あるいは不完全さや歪みを肯定した、剥き身のエゴ。

…筆者はそれを「人間が本来持つべきまさに人間そのもの」とし、そういったものを失いたくないが為に、城壁というメタファーで表現された親里の街から出ていくという決断をしたのではないかと、想像したのである。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のクライマックスでは、影から切り離された主人公が、瀕死になっている自身の影から説得を受けて、「高い塀に周囲を囲まれた街」からの脱出を試みる。果たしてその脱出劇は無事成就したのか、それとも…。

この結末は、是非ともこの作品を直接手に取って自身の目で確かめていただけると幸いである。ピーナッツ自身も読んだ当時、この「高い塀に周囲を囲まれた街」とおぢば・親里の街が重なって見えて仕方がなかった。

蛇足ながら、同作品のテーマを踏襲し、「高い塀に周囲を囲まれた街」に相当する同様の異界空間が登場し、かつ更にもう一歩掘り下げて踏み込んでいったものとして『海辺のカフカ』という小説があるが、こちらも是非おすすめしたい。




「個」と「自由」を圧殺するシステムから「自己解体」する

村上春樹ほどではないが、村上龍もけっこう好きな作家である。同時代の新風であり、その作風はかなり異なるのだけれど。

かつての飲みづれであり、親友だった子がこの龍作品が好きで、ピーナッツは彼女によって村上龍の世界の深淵へと誘われた。

その村上龍もまた、春樹と同様、宝島社によって特集雑誌が刊行されていた。その特集誌を手に取って何気なく読み進めていると、やはりここでも(むしろ、ここにも)面白い書き手の手記を見つけてしまう。

『「自由・個人」を圧殺する教団という共同体』
僕の生まれた家は、関西に本部を置く巨大新興宗教教団の分教会だった。そのため、大学を出ても一般企業への就職は許されず、教会本部で奉仕を道を選ばされた。
おそらくはどの宗教教団もそうだろうけれど、僕が所属し、月5000円の「お与え(給料のこと)」で暮らしていた本部とその末端全国組織は徹底的な身分制度に貫かれた教条的閉鎖集団だった。考え方と行動は、すべて「教理」を規範とし、話すこと・書くことは紋きり型。自分の解釈を付け加えることは一切許されなかった。
規範とする教理の解釈は、最高幹部たちが決めるのであり、「教祖の事跡にならって」などという言葉は、それこそただのお題目だった。
この幻想共同社会には、俗世間に存在するあらゆる汚濁が凝縮されて渦巻いていた。鼻持ちならない小権力者、一部の選良たちのみが許される物質的欲望の充足と、「人だすけ」を標榜しながら平然と行われる色情行為。そして、「神への尽くし」という美名のもとに徹底的に行われる金銭の収奪。異端狩りと称する「自由を求める個人」の弾圧と排除。
それらの「凝縮された汚濁と悪」は、宗教的禁忌を犯す快感に裏打ちされて、快楽の度合いを増していた。幹部はおおむね、パラノイアかサディストであり、末端信者はおおむね依存性の強いマゾヒストだった。
ないのは、戦争だけだった。

「別冊宝島839 僕たちの好きな村上龍」より


秋口光太郎
1960年生まれ。巨大宗教教団幹部を経て、現在整体師。「筋肉・骨格系と精神の関わり」がライフワーク。「筋・骨格系こそ人間の本質。脳も筋肉だ!」と長年言い続けている。「快楽」をパーツ化してしまう、村上龍の徹底的な「個」へのこだわりが好き。

前同


前述の五十嵐氏以上に辛辣な文調なのは、やはり村上龍の影響からなのか。
彼はある教会の子弟としての出身のようだった。

僕が村上龍の一貫したテーマをおぼろげながらつかんだのは、10年ほど束縛されていた教会本部からのエクソダスしたのちのことだ。「個人の自由」をことごとく奪われていた僕の眼に、村上作品は鏡のように「拘束との戦い」と「自由への渇望」を映し出した。

『限りなく透明に近いブルー』の一節に、こうある。

リリー、あれが鳥さ、よく見ろよ、あの町が鳥なんだ、あれは町なんかじゃないぞ、あの町には人なんか住んでいないよ、あれは鳥さ、わからないのか? 本当にわからないのか? 砂漠でミサイルに爆発しろって叫んだ男は、鳥を殺そうとしたんだ。鳥は殺さなきゃだめなんだ、鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔しているよ、俺が見ようとするものを、俺から隠してるんだ。(講談社文庫)

前同


『限りなく透明に近いブルー』講談社文庫


僕には、この「鳥」こそが、僕の「自由」を徹底的に奪った宗教教団に思えた。そして少しずつ一般社会に「復帰」するにつれ、僕を拘束した共同幻想集団は、実はこの現代社会のあらゆる制度・システムと多数意見を凝縮したものであることに気づいた。
リュウ(同作品主人公)は、ドラッグによる幻覚の映像の中で、自分を押しつぶそうとする「黒い鳥」を見、「鳥を殺そう」と思う。そして、限りなく美しく、暗喩に満ちた次のエンディングが導かれる。

鳥が舞い降りてきて、緩い光がここまで届けば、長く延びた僕の影が灰色の鳥とパイナップルを包むだろう。(同文庫P150)

この時点で、「自分を押しつぶそうとするもの」との戦いは、まだ開始されていない。ようやくその存在に気づき、「殺そう」「包もう」と決意する段階だ。それは、僕が共同幻想集団とその拡大型社会からの完全な自立を目指すプロセスと、見事に合致した。

前同




壁の向こう側、扉をひらいて

いかがだったろうか。


村上春樹を語る前者の五十嵐氏は慎重に注意深い姿勢で、


村上龍を語る後者の秋口氏は忌避し抗うような姿勢で、


それぞれに「高い塀に周囲を囲まれた街」と暗喩された地を脱出し、その先にあると信じていた「個人の自由」を取り戻さんと広い世界、壁の向こう側へ旅立っていく。

共に文壇を代表する春樹・龍の両村上作品の解像度を上げる語り手として、全く別の場所から天理教にゆかりの深い二人が筆を執ったことは、何とも数奇というか、この文章に偶然行き着いた当時は、不思議なシンクロニシティを感じていた。


戦後の日本復興の気運と、高度経済成長へと向かう過渡、上昇を見る本教の趨勢に大望を賭し、聖地に明確な輪郭を与えんと八町四方の「おやさとやかた」を構想した二代真柱。

高い壁で一坪の聖地の四方から閉じていこうとする教団の邁進の最中、その場所では生きていくことができず、壁の向こう側に希望を抱いて駆け抜けていった五十嵐と秋口。

そして、世界一列をろくぢに踏み鳴らしに、その現身から扉を開いて世界へと出て行かれた教祖。


……ピーナッツは、これらのことを考え、どう感じ、どう思えばいいのだろう?


近年、『進撃の巨人』という世界的な大ヒット漫画に触れ、その思いは更に深く、複雑さを帯びていく。


壁の内側を「この世界の全て」だと信じ(込ませられ)、外側からの巨人の侵略に対抗し続ける人々。

物語の進展と共に、その真相は反転していく。

やがて、街を外敵から阻んでいた壁の中から(壁そのものから)巨人が現れ、世界中の地ならしが始まる。

…地ならし。


これは未読の方は是非とも直接その目で読んで確かめていただくことをおすすめしたい。

天理教の我々にとって、この物語がどんな意味を持っているのかということを。



ピーナッツは、ここでなお、踏み込んで言及したい。

「個人の自由」を見失わず、かつ、壁の向こう側を夢見ることなく、壁の内側の聖地が人々が生きていく為の希望の糧として有力に立ち上がっていく為には、これから私達は一体どう在るべきなのだろうか。

ひとりひとり、個々の心の在り方にフォーカスし、それらを大事にしながら、かつ聖地“ぢば”が力強く個々人を支えていくかけがえのないものたらしめる為に、我々は一体どう在って、人々に、こども達に、それをなげかけていくべきなのか。


【2025.2.26】




おまけ

150番目のnoteということで、いくらか張り切って風呂敷を広げだしたピーナッツ。

これはどの辺りで風呂敷を畳んでいけばいいものか…(;^ω^)

膨らまそうと思えばいくらでも膨らますことのできるテーマ。

おやさとやかた構想発表後の流れを追い出すだけでも、ボリュームはもっとえらい膨大なものになっていったでしょう。(それがわかっていただけに、敢えて不要に膨らませなかった)

安易な批判をしたいわけじゃあない。

ただ、様々な視点で、我々の聖地は、あの建設途上の壁は実に複雑で多面的な顔を覗かせてもくれる。


大学卒業後、本部勤務をしていた当時、ピーナッツ自身も確かに感じていた。この街から出たくない。どうやったら実家の教会に戻らず、この街にしがみついていられるのか、と。

現在の妻との関係が、結局そんなピーナッツの浅はかな思惑を打破してくれたわけで、当初の予想以上に早期の帰郷となり、それが故に現在のこども達の姿と成長がある(おぢばから地元に戻ってすぐに結婚し、程なく長男が授かった)ことを思えば、妻に救われたのかもしれないと思わざるを得ない。

おぢばに居ついていた時は、あれほどしがみついていたいと思っていたのに、いざ実家・地元に戻ると、徐々に冷静さを取り戻していく。

いまとなって思えば、地方で信仰する者にとってあのおぢばは、

「ふるさとと慕って帰りこそすれ、長々と腰を据えて住み着くようなところではない」

という認識で見ている。

ぢばがもつ磁場が、人の心・判断に確実に干渉する、という確かな一事例ともいえる。


いまもっておぢばは大切な街だけれども。


それでもやっぱり、あの壁の向こうとも呼べるこちら側で(それがたとえ雪深さにあくせくするような極地であったとしてさえ)生活しているこの現在がなにより尊いし、この場所からおぢばを眺めるからこそ、彼の地がたまらなく美しく、懐かしい故郷として煌めくわけで。


皆さん、おぢばは私達にとって、あくまでも帰るところなんですよね。

だからこそ、尊いんだ、本当に…。



今回は本当に長々とお付き合いありがとうございました!
それではまた(^O^)

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