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愛のない男、ある男

店の外を救急車が走った。
「救急車、乗った事ある?」
久しぶりに店に来たオーナーが、ディスプレイ用の流木を片手に聞いてきた。
「あぁ、あ…りますよ。」
「何で?盲腸?」
「いや、個人情報なんで言いません。」
「はー、また慈音にフラレた。」
と、オーナーはディスプレイを続けた。

お客が途切れた午後のひと時、ラッピング用のリボンを作りながらボーっと考えた。

救急車はいいな。助けてくれるもん。
でも救急車じゃない助けが必要な時が、生きてればある。
そんな時はどうすれば?
例えばDVされたとか、大切な存在をなくしたとか、ひどい事が起こったとか、生きてたくない時…。

初めて好きになった人を思い出した。
ある日、どうしても耐えられない夜に電話した。

ちょっと嫌なことがあって。ごめん、寝てた?
うーん…。寝てた…今はちょっと…。

電話を切って、私の恋も終わった。

愛のない男ばっかり。
ただ一人だけ、Y先輩という例外があったが。

「はいはい。慈音じゃん。珍しい。」
「先輩、今家?」
「家。これからプールだから子供達がはしゃいでうるせーのなんの。」
後ろで子供達の騒ぐ声が聞こえる。奥さんが子供を叱る声もする。そっか、今日は日曜日か…。
「出掛けるなら、また後でかけるよ。ごめんね、大した用じゃないんだ。ごめん。」
その瞬間、先輩の声色が真剣モードに変わった。
「だめだ、慈音。まだ出掛けないから。大丈夫。話して。話さなきゃだめだ。」
あたしは堰をきったように涙が溢れ、まとまらない言葉で事情を話した。
先輩は、あたしが落ち着くまで聞いてくれた。

何で分かったのだろう。あたしはその時、ギリギリだった。もう、だめだと思った。
市の福祉課の緊急ダイヤルに電話したこともある。警察に行ったら?とか、病院に行ったら?とか、結局たらい回しにして責任負いたくないんじゃんかよって腹立ったから一回しか掛けてない。それに日曜日はやってないし。

いつの間にか子供達の声もしなくなっていた。先輩は、違う部屋に移動したのだろう。
「出掛けるところだったのにごめん。もう大丈夫。ごめん。」
「謝るな。聞くしかできないけど、用があってもなくても、連絡して来い。」

先輩は仕事の都合で地方にいる。
結婚する前に紹介されたことのある奥さんは、施設で育ったと言っていた。優しくて、強い女性という印象。先輩にピッタリの人だと思った。
先輩とは、もう何年も会ってない。
なのに、一番親身になってくれる。
愛のある男なんだよなぁ。

「いらっしゃいませー」
客が入ってきた。
さぁ、仕事だ。愛のある接客に励みましょー。

救急車の音は、もう、しない。








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