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「軽井沢のセンセ」からの暗号(21)〜東京都北区が結ぶ、真言宗の聖地♡紀州高野山・真田家らの九度山・熊野古道☆
『孤道』と出会った時の鼓動
『孤道』を読めたのは、帰りのバスを待つ待合室で。
裏表紙に
「著者の遺志宿るシリーズ最後の傑作!」と書いてある。最後、というのはとても残念なのだが・・・祈るような気持ちで、ページを開いた。
・・・今までで一番、驚いた・・・!!!。
『孤道』登場する地名・・・前作で取材に向かった場所と共通点がありすぎるのだ。むろん、内田先生の、流れるような美しい文章とひろこのそれとは、天と地ほどの違いがあり、そもそも比べることなどできない。
しかし、しかしである。
物語の舞台にビックリしてしまった。先生の本を拝読してからマネして書いたわけではなく、拙い文章を本にしていただいてから初めて、先生の文章を読んだのだが、そう思えないほどであった。
和歌山県と言えば、真言密教の聖地高野山や、真田家が蟄居していた九度山など、かねてからご縁を感じていたが、北区への取材から、再び結びついた。
そもそも飛鳥山という地名は、紀伊国守護人に任ぜられ、紀州方面との結びつきがあり、熊野信仰を深く受容していた武家の豊島氏が、鎌倉時代末期に、紀州の阿須賀神社から飛鳥明神を勧請したことからと言われている。
紀州出身の徳川家八代将軍の吉宗さまが、現在は飛鳥山公園となっている飛鳥山に故郷とのつながりを感じ、特別の愛情を持たれたとのこと。
奈良時代まで「花」といえば梅だったが、平安時代になると桜になっていったという。
吉宗は、享保の改革という緊縮財政だけでは人々が息苦しさを感じてしまうと考え、庶民も楽しめる行楽の場として飛鳥山に桜などの植樹が行われ、後に公園となり、飛鳥山公園は、今も桜で有名な名所として、広く、憩いの場となっているという。
・・・また出版年を見ると、ひろこが初めて記念館に伺ったころには、『遺譜…』も『孤道』も、全て出版されていたことになる。
それは、ひろこの時系列でいえば、
①世界的にコロナパンデミックであった年の夏に初めての記念館
②触発されて一気に取材&執筆→『扉』に応募も落選
③2年後に別の出版社さんから改作した原稿が日の目を見た
④その次の年、出版していただいた本をもって、浅見光彦記念館を再来し、事件に遭遇
⑤暗号解読開始、となる。
しかし皆様は、そうは思わず、内田先生の文章を読み終えてから、マネして書いたのだろう、と思われるかもしれない。
そうではない証拠は、というと・・・何年か保管されていれば、取材に向かった和歌山県の神社さん数社で記帳をしたはずである。
また、当時お世話になった神職の方も、証明してくださるかもしれない。
何より、軽井沢の浅見光彦サマは、何度も記念館を来館する、ワーワー騒がしい客をきっと覚えていて、紳士的に証言してくださる、ハズだ。
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