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私が大学教員になるまで

正直なところ、学部時代には自分が大学教員になるとは想像もしませんでした。卒業論文は提出したものの研究にはほど遠いお粗末なもので、まさか今研究をしているなんて当時の自分が知ったら冗談だと思うでしょう。
大学からストレートで修士、博士と進学したわけではなく、回り道というより相当な道草を食って、40歳目前に専任のポストに就きました。
これは早いほうなのか遅いほうなのか実のところわかりませんが、結婚、出産を経た女性という点では恵まれていると言えるのかもしれません。
自己紹介を兼ねてこれまでの道のりを書いてみようと思います。

一般企業への就職、退職を経て大学院(修士)へ

人より遅れてスタートした就職活動。業種や職種、受ける企業の研究も十分とは言えず、大手企業は全滅。地元の企業に就職しました。
職種は希望にそったものだったので、自分なりに一生懸命与えられた仕事に取り組んだし、+αの挑戦もしたつもりです。初めての社会人生活はそれなりに充実はしていました。
ですが、元々企業に向いていなかったのかもしれません。期待したほどには頑張った成果は形には残らず失望した時期があり、そのまま退職して翌年大学院に入り直しました。

大学院に進学したのは、学部時代にお世話になった先生からの勧めがあったからでしたが、大学で大して真面目に勉強なぞしなかった私は、この時初めて学術論文を読み、見よう見まねで必死で研究計画書を書きました。
事前に希望する指導教官に連絡をとるといった段階も踏まず、奇跡的に希望大学の大学院に合格できたのは、ひとえにこの先生のおかげでした。今でも「恩師」と言われてまず頭に浮かぶ先生の一人です。

海外生活・現地就職~帰国後の就職活動

修士論文が想像以上に大変で辛かったので、博士課程に進むことは全く考えませんでした。
修了後は海外に留学。留学中に現地の大学の公募に応募し、次点で落選。
と思いきや、日本に帰国する前の最後の周遊中に、もう一人欠員が出たために繰り上げ採用の連絡をもらい、2年間日本語を教えました。
このあたりのことは、いつかまた別の機会に書きたいと思います。

帰国後、修士号と海外経験を生かしてどこかに就職できるだろうと楽観的に考えていたのが大間違いでした。
大学の専任は博士の学位が条件に入っていることがほとんどで、非常勤も修士以上で経験者優遇。
非常勤なら、といくつか応募書類を送ったものの面接までいかず。
日本語学校も、海外経験はあまり歓迎されないようで書類審査でずいぶん落とされました。
それでも、どうにかこうにか大学非常勤と日本語学校の非常勤の仕事を得て、しばらくは掛け持ちで経験年数を稼ぐことになりました。

博士課程進学、出産を経て専任へ

専任になるには博士号をとるしかないと思い、遅ればせながら進学しました。
しかし、進学してすぐに妊娠し、入学後1年で半年間休学。
長男が6か月の時に復学、同時期に知人からの紹介で大学非常勤の仕事を週1から再開しました。
早々に復学したものの、乳飲み子を抱えながらの研究は想像以上に進みませんでした。
目まぐるしい忙しさはないのに、慣れない育児と授乳による肉体的な疲れと、まとまった時間を落ち着いて取れないことが、こんなに研究に支障をきたすとは思っていませんでした。正直、育児をなめていたとしか言いようがありません。

専任職への就職活動は学位が取れてからと決めてはいたものの、毎日JRECINからのマッチングメールを欠かさずチェックしていました。
そしてある日、家から割と近い大学の専門分野の公募を発見。
大学の立地と公募内容がマッチすることはそう多くありません。応募条件が修士以上だったことも魅力でした。
でもやはり一番の後押しは、夫や両親の協力と応援があったことで、ダメもとで応募してみることにしました。
そして幸運にも採用され、現在に至っています。
この時のことについてはまたの機会に書こうと思います。

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