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コラム⭐︎目覚める方の夢の話

眠りから覚めたら余韻だけ残し、
薄らいでいき、思い出せない夢も沢山ありますが、
幼少期から今までで、何度も見る夢、
忘れられない・詳細や感覚まで覚えてる夢、ありませんか?

過去、何度か見た事がある夢ですが、
最近何度も見る夢があります。

内容は、
私は、大きな駅にいて、とにかく急いでいます。
行き先は決まっていて、目指す駅も分かっています。
その駅は、行った事があるような無いようなそんな場所。
でも、私はとにかくその駅へ急いでいます。
行き方も分かっているはずなのに、
その駅へ向かうホームに立つと、
その方面の電車はなぜか運休になっていたり、
乗る方向を間違えて、戻る路線に乗り換えようとまた急いでいます。
乗り換えるホームに立つと、
そこは知らない路線のホームで、
また、正しいホームに向かって急ぐんです。
目指している駅は分かっているのに、
かつて行った事があるような気もするのに、
どうしても辿りつけず、焦って焦って、夢から覚めるんです。

夢占いとかありますが、
それに頼らずともなんとなく自分で理解しました。

私には、目標があり、
それは、良いのか悪いのか複数あり、
どこから手をつけたらいいのか、
分かっていない状態に今あるんだと思いました。

行った事がある気がするのは、
過去に小さくても何かしらの目標を達成した経験があるから、
その感覚だけを頼りに、また辿りつこうと必死なんでしょうか。
辿りつけないのは、
目標が変わったから。
目標が複数あり、優先順位をつけられていないから。

何かしらの力が働いて、
乗りこんだ電車が間違っていたり、行く手を阻むのは、
もっと優先すべき事・優先せざるを得ない事があるのかもしれません。

夢とは不思議なものです。
覚醒時には考えていない事が現れて、
潜在的な想いに訴えかけてきているように思う夢もあるし、
全く関係無いよ?と思う夢もあります。

さらに言うと、
見たい夢は自分ではコントロール出来なくて、
夢でもいいからもう一度会いたい人も、
私の意志では現れてくれず、
なんでこのタイミングで現れたの?と言う時には、
その意味を考え込んだりしてしまいます。

私が幼少期から不思議に思っているのは、
眠りで見る夢と、将来を描く夢が同じ言葉であり、
それが、世界的にも共通であると言う事です。

瞼の裏のスクリーンに映し出された夢は、
将来を描く夢とは違い、
私の心を惑わせたりします。喜ばせてもくれます。

ぼんやりと描いた将来の夢は、
誰かがかつて切り拓いた道を辿ったり、
自ら切り拓く方法を模索したり。

眠りで見る夢は、
あたかも体験したかのごとく、
私の五感を刺激します。
それは時に、沸き立つ情熱に変わる事もあります。

夢と言う言葉が生まれた時、
どちらの夢を意味したのでしょう。

別物のような、同じな気もするし、
同じような気がしても、別物に感じる。

ただ一つ言える事は、
どちらの夢も、私の中にあると言う事。
私が描き、私の中のどこかの部分が見せている。
映画を選んで観るのとは、全く違うもの。

世界で共通の言葉で二つがくくられているのは、
両方、自分の中から生まれた想いだと感じているからなのでしょうか。

もう少しで、
親友の誕生日が来て、
その1ヶ月後には、その親友の命日が来ます。

あの子は私の中にいるからさ、
そろそろ、夢の中で会わせて下さい。
目覚めた時、また泣いてしまうかもしれないけど、
それでも、会いたいです。

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