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映画『蜘蛛の巣を払う女』感想


予告編
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PG-12指定


 今月のアマプラの月替わりセールの中から、今日は本作の感想文を投稿します。

 ……もう4年以上も前の映画なんですね。白状するとほとんど覚えていなくて……。4年も経っていると今とは感性もだいぶ違っているんだなぁ、と改めて実感したというのが、久しぶりに読み返してみた率直な感想です。


 ちなみに、セールは今月末までだそうですー。


リスベット・サランデルにハマる


 真っ先に弁明から始まるのはみっともないけど、僕は原作小説を読んでいません(読んでみたいなーぐらいには思っています)。学生の頃にデヴィッド・フィンチャー監督の映画『ドラゴン・タトゥーの女』(あとついでにミレニアム三部作の『ドラゴン・タトゥーの女』)を観て、作品でも描かれていたような、女性を取り巻く社会問題も二の次に「リスベット超ステキ♡」とか思ってしまったミーハー野郎です。悪しからず。



 キャストは一新されてはいるもののデヴィッド・フィンチャー版の続編であるが故、ついつい前作と比較してしまいます。でも変わったところと言えば多少観易くなったこと、それからリスベットの表情が柔らかくなったことくらい。これはビジュアル(眉に色が付いたとか)によるものなのか、クレア・フォイの内面的な部分によるものなのか、はたまたリスベットの過去に触れる物語だからなのかは定かではないけれど、前作でリスベットを演じたルーニー・マーラと比べると表情から醸し出される感情が如実になってきていて人間クサさが増し、つまりは新たな魅力に繋がるのです。

 もともと超優秀な諜報員であるリスベットの働きぶりだけでも十分に面白い作品なのですが、私にはちょっとばかり(だいぶ?)邪な想いがあるようです、ハイ。


 本作でもその活躍ぶりは魅力たっぷり。巧みに構築されたテンポの良い流れも然ることながら、相変わらずの “思わせぶり” 感が健在しているのもとても嬉しい。

「おいおい、リザベルやばいんじゃね?」と思わせておいての “スカシ”、僕はこれが大好き。これは決して単純な “ハズし” の演出なんかではなくて、他人を欺くポーカーフェイスがひしめく本作の中にあって、本気で騙されることによって、延いては観客をも騙すことになってしまったアロナ然り、騙している自覚の無い者が他人を欺くという “究極のポーカーフェイス”の構図が銀幕を跨いで見事に作り上げられています

 その他にも、白銀の中で際立つ真っ赤な衣装によって、画面映えのみならずリスベットの心情や記憶、或いは過去のメタファーとしてそのカットを成立させているのも良い。前作と攻め方を大きく変え、エンタメ色が強くなっていながらも、細部まで作り手の意図が行き届いていたように思います。 個人的にはバイクで氷上を駆け抜けるシーン、それから屋敷が燃え盛るシーンとかがかっこ良くて印象的です。



 “戦う→ピンチ” という流れを一瞬で断ち切る展開も面白い。バイクでも戦闘でも、アクションシーンが見応えあるとそれだけで楽しくなる。なんていうか、トム・クルーズ版の『ミッション・インポッシブル』を観ている感覚に似ているかもしれません。欲を言えば本作になってより一層、もはや天井知らずとなったハッキング技術を駆使して支援する、いわゆる ”イス男” の描写がもっとたくさんあっても良かったのかな、なんて。でもそれだとエンタメ色が強くなり過ぎちゃうか……うーむ、悩ましい。

 そんなことを懸念してしまうくらい、ドラマ部分も売りにしていた本作。敵の襲撃によって怪我を負わされたリスベット。何度もその傷を画面に映すことで、今回の戦いによって彼女の過去という心の古傷が浮き彫りになってしまったことを暗示しているよう

それでも彼女は喚きたてることなく、むしろ噛みしめるように痛みと共に在り続ける。心も体も憔悴してしまいそうだ。あんなに優秀なのに自身の感情にはとても不器用な彼女(ミカエルに対しても同様かもしれない)は、最期の最後になっても前作同様、また独りで、そうやってどこかへ去って行ってしまうのですね……。
 この後味もまた魅力の一つ。


#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #ドラゴン・タトゥーの女 #ミレニアム #クレア・フォイ #蜘蛛の巣を払う女

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