『耳をすませば』再考
いよいよですね。ジブリの名作、『耳をすませば』実写版が、10月14日より、全国公開開始です。
『耳をすませば』といえば、もともと、1989年に少女コミック誌『りぼん』に掲載されていた、柊あおいのマンガです。
マンガも当時から人気があったと聞いていますが、一躍メジャーになったのは、やはり、ジブリがアニメ化した1995年だったと思います。
2人が出会い、お互いに惹かれあいながら、成長していく、まさに、青春恋愛マンガの王道的作品です。
今回の実写版は、オリジナル設定があるものの、2人が中学3年生だった1989年の10年後である1998年が舞台。25歳になった2人のその後が描かれるそうです。ジブリファンならずとも、楽しみですね。
ところで、アニメ版『耳をすませば』ですが、個人的にはジブリ作品の中では最も好きな作品で、何度も観返しています。その中で、感じたのは、観たときの自分の年齢で、まったく異なる点が気になったということです。
初めてみたときは、小学生だったのですが、その時は、純粋に、中学生の恋を描いた作品として、共感してみていました。もちろん、この映画の主旨も、月島雫と天沢聖司の成長と恋を描いたもので間違いないと思います。
しかし、大学卒業後、就職した前後で、改めてみたときに、それまでとは全く違う点が気になりました。それは、主人公雫の姉、汐と、母親、朝子の2人です。
姉の汐は大学生で、物語の最初は雫と同居していますが、その後アルバイトでためたお金で一人暮らしを行うために家を出ていきます。雫が小説をかき上げるころには、すでに家を出た後で、がらんとした部屋が独特の焦燥感を演出しています。
一方、母親の朝子は、大学院で研究を行っています。この映画が公開された1995年では、子育てしながら大学院に通うという女性はあまりいなかったのではないでしょうか。
あらためて2人のプロフィールを眺めてみると、聖司と雫の成長や恋愛を描くためには必ずしも必須ではないような気もします。実際、原作のコミック版では、2人のプロフィールにこのような設定は入っていません。
そこで思ったのが、実は、ジブリのアニメ版は、副題として「女性の新たな生き方」を描こうとしていたのではないかということです。
本作品が公開された1990年代中頃の時代背景を振り返ってみると、男女雇用機会均等法が1986年に施行され、約10年。私の記憶の中でも、女性の社会的プレセンスは上がっていたものの、バブル崩壊の余波もあり、まだまだ道半ばという印象でした。
そんな中で、ひとり暮らしを目指す汐と、大学院で研究キャリアを積む朝子は、ある意味、これからの時代の女性の生き方の新たな選択肢を暗喩する存在として、描かれたのではないかと思ったのです。
そして、主人公である雫も、物語の中で成長し、自分の将来にある程度道筋をつけるのです。
さて、この考察をした時は24歳くらいだったので、上述のようなキャリアに関連する視点だったのですが、40手前の今、この作品をみると、恐らく今度は、この人の視点になるのではないかと感じています。
そうです、父親、月島靖也の視点ですね。娘や妻と向き合い、背中を押せる存在になれるかどうか。。。
同じ作品でも年齢や経験を重ねるにつれ見え方が変わってくる、というのは、なんとも面白く、秀作の条件なのかもしれないなと思った次第です。
皆様も、昔見た映画を、改めて見直してみると、違った視点で楽しめるかもしれません。よろしければご参照下さい。
参考
耳をすませば - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI(本記事では、ジブリが常識の範囲内での使用に対して許諾を与えた画像のみを使用しています)
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