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ゴミの日




「ミニマリスト」とか「断捨離」とか。

世の中のブームはさておき、私はどちらかというと「モノを捨てまくるタイプ」である。というのも「使い古して捨てる」というより、「気に入らなくなったら捨てる」というかなり贅沢な捨て方をするタチなんだ。それはまだ使えるのに捨ててしまうことも多く「これはなんかもうダサいのよね。」みたいな感じでどんどん捌いていくから、一見するとあまり良くないのかもしれない。それはたとえばずいぶん昔に買った冠婚葬祭のスーツやパンプス、あの時気に入って買ったはずのワンピースやTシャツやカーディガンにスニーカー。なんとなく似合うかもしれないと迂闊に手を出したターバンや帽子、ノリで挑戦した香水やTバックの下着など。(Tバックは言い過ぎましたね)そういうわけで私はいざという時に困ったりするし、極端にモノが少ないタイプだ。

だからこそ「断捨離」や「ミニマリスト」みたいな流行りのノリは必要ないかと思っていたのだが、その矢先。私はあることに気がついてしまった。

私の私物で、やたら散らかっているコーナーがある。おや?と何度も選別してきたが生き残ったそれらは「人からの貰い物」だったのだ。

そう、何を隠そうこの私。「人からもらったモノ」に関してはめっきり弱いのだ。お人好しこと、ノスタルジックこと、私なのである。だが実際ひょんなことから断捨離をせざる終えなくなっているここ最近、ついに「人からもらったモノ」を選別する日が来てしまったのである。



というわけでここからが今日の本題です。ついに今日、恐る恐る開けてみた扉の中から出てくる出てくる「貰い物」たち。うわぁ〜と引いてしまうような「貰い物」たち。一つずつ手に取ってみた。元彼からもらったロクシタンのハンドクリーム、前職の先輩が私を心配して作ってくれたハンドメイドのブレスレット、お客さんが「こういうの好きでしょ?」と言ってくれたボーダーのTシャツ、友人からもらった使いかけの高級シャンプー、後輩からもらった卒業メッセージの色紙、従姉妹が誕生日にくれた原色の靴下3セット。親戚が送ってくれた大ぶりなダイヤモンドのネックレス、お土産にもらったキーホルダー、使ったことがないアレやコレ、もう使うことのないアレやコレ。

そういうものを一つ一つ手に取るたび、私の心はあちこちへ歩いた。あの人やこの人の顔が浮かび、その時の自分や住んでいた部屋なんかも思い出した。ただ、そんな私の心とは裏腹、仕舞われていたモノたちから放たれるのは紛れもなく無言の時間だった。私はこんなにも傷つかないよう保管してきたのに、モノをくれた人たちとはもう随分距離ができていた。もちろん時間も過ぎていた。それはモノが仕舞われていた時間と同じだけ。
モノが仕舞われていた時間と同じだけ。
もう遠くて、見えない距離になっていた。

そう思うとこれらは捨てられる理由もなく
今日までここにいたのが少しだけ可笑しかった。

だから、今日は勇気を振り絞って。
あの人や、この人たちにありがとうを言うのと同じように。少しだけ「ありがとうございました」とお辞儀をするようにそれらを捨てた。どこか寂しいような、間違っているような、申し訳ない気持ちとともにだ。そしてそんな臆病な自分とさよならしたくて袋を閉じた。「そう言う日もある。」と心でつぶやいてみる。そうやってみんなモノを捨てているのかな?断捨離ってそう言う感じ?それならこの世は冷たくない。ほんのり優しいのかもしれないね。

明日はゴミの日。

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