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「中身が飛び出た餃子」から気がつくこと


実は裏話。
いつもいつもスラスラとエッセイが
書けるわけではない。

感情や思考を文字にするのは
非常に頭を使うもので
気力も体力も持っていかれる。

書き終わった後には、
一仕事終えたような気分になる。。

それに、昨日はエッセイを書いていて
なかなかしっくりくる言葉が降りてこない。
出来の悪い自分に対して
「怒り」を抱いた。
(やることがいっぱいあったしね)

心まで揺れるのは稀であり
良い機会だったから

「怒り」について書くのが、
今日のエッセイです。






2/13





怒りは「第二次感情」だって
聞いたことある?


「怒り」は単体で生まれることがなく


何らかの感情があってこそ
生まれるものなんだ。


だから


たぶんだけど


怒りたくて怒る人はいない。


「怒り」には列記とした原因があるんだ。


構ってもらえなかった「寂しさ」だったり
他人が思い通りにならない「悔しさ」
体調が悪いから「休みたい」だったり
「心配」「嫉妬」「焦り」
とか、そんな感じのものだったりする。


思い当たる節はない?


私はさっき焼いた餃子が
全部フライパンに焦げ付いてしまい、
「餃子の羽、大失敗」の瞬間も
イライラしたよ。


「怒り」って実はそんなもんだから、
私は、イライラしてしまう時
自分にフォーカスする。
自分から見えてくる原因こそ、真実に近い。


だから


周りで起きている出来事は
ただ、そこで起きているだけにすぎない。
ぶっちゃけ、どうでもいいのだ。
なるようにしかならない。
それよりもまずは
自分を見て、自分にうなづいて、
自分を抱きしめるのが先じゃないか。

餃子なんて上手く焼けなくても
大丈夫だよ。グッジョブ。








なんて。

心理学っぽいことをツラツラ
言ってみたけど
それでもなお「怒り」とは
長い付き合いになるんだよ。

真実がわかったところで
報われない日もあるし
そもそも、
必ず真実が見つかるわけじゃない。
人間は、未熟な生き物だからね。



だから結局、御託を並べた結果
「怒り」を丸く収めるために、



「未熟さ」こそ
人間の魅力だと気が付くこと。

これに限る。

羽が無くなり中身の飛び出てた餃子も
味は同じ。愛はある。







完璧な人間から、愛は生まれないよ。

不完全を愛そう。





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