見出し画像

不当な扱いを受けているのにNOと言うことができない優しい人へ

今週は月曜日から、
正月明け営業を開始したのですが、
まだ近くの薬局も休みで、処方箋も使えない。

しまった、もう1日休みにしたらよかった。。。
まぁ、正月ボケのリハビリだ、ぼちぼちやろう~

寝ぼけたテンションで始まった年明け初日、
朝ミーティングで初カードを引くと、

画像1

津波…。

思いもよらない大災難を暗示するカード。

ちなみに、前回このカードが出た日には、
お昼に、電子レンジが爆発して再起不能になったのだ・・・

(実はRでのレンジ爆破は、これで2台目、、、

 電子レンジでたまごをチンしようと、
 果敢にチャレンジしてしまう、自分がバカなのですが。。(^_^;)


この日も、世の中、平和だな~、
なんてお気楽な正月気分が、
一瞬で吹き飛ぶような大津波が、
ちゃっかりやってきましたよ。

ここでは内容は書きまませんが、ご自身の中で、いくら断っても無理で、最終手段に訴えざるを得ないような被害にあったと感じた経験があれば、それに置き換えて想像してください。

僕は、NOを言ったり、断ったりするのが、
大の苦手。

そのせいで、さまざまなトラブルも引き寄せてきたと思います。

理不尽、不当な要求に対して、
断れないのは、
診察室でも、よく話題になるテーマです。

ちゃんと断れなくて、
NOの意思表示ができなくて、
後で迷惑をかけたりトラブルになる。

愛着形成時期の不安定に起因すると思われる、
バウンダリーの障害(自他境界の形成不全)で、
大人になってから対人関係嗜癖のトラブルを引き寄せ、
こじらせ名人として事例化します。

それは、多かれ少なかれ、僕も同じです。

こじらせって、自分では自分がこじらせの一端を担っていることに、
直面するってことは、すごく難しい。
重症になると、そもそも、不当かどうかが、自分ではわからない。

僕の感覚でいうと、
べったり内側にまでまとわりついて、
拭えないような、いや~なもやもや感、
みたいな感じに、感じられますね。

こんな時は、自分のどこかが、
不当だ、NO!を言っているのに、
自分が自分に嘘をついているサインだ。

ただし、それに気がついて、
NOを表明したところで、

過去と他人は変えられない。
   - エリック・バーン

Noと言うのは、自分の正義で相手を修正するためではない。
相手はどんなに不当に見えても、相手自身の正義に基づく自由意志がある。
NOを受け入れてもらえるとは限らない。

でも、正当なNOを言わない、とういう選択は、
加害者が加害者をやめるタイミングを奪う、
という自らの選択をしていることになる。

NOを言わないという選択をして、
被害者でありつづけるなら。
被害者意識を、自分の手の内に握りしめたままにしておくなら。
それは、もはや、共犯者なのかもしれない。

認めたくはなかったけれど、
自分の中に、共犯者が、、いる。。。

不当を受け入れてしまう自分、
自分への人権をないがしろにしている自分、
そんな、自分の中の、
共犯者な自分を捕まえることができれば。

他人を変える事はできなくても、
自分を変えることは、できる。

NOと言うことが、
結果的に相手も大事にすることになるって、
わかっちゃいるけど、言えない、、、
そんな優しい人へ、

NOと言うことで、
優しさをあきらめることはない。

断るということは、
相手を否定することではなくて、
自分の限界を深く認めること、
ではないかと思う。

平和なこころでも、訴訟はできる。
   - 水島広子

NOと言うことに、
怖れも、怒りも、罪悪感もいらないのかもしれない。

被害にあっているとき、
こころは一瞬で乱されるけれど、
ほんとは優しい世界であることは、
忘れないでいたいと、思う。

そんな思いを、
また、何度でも思い出せるように、
ここにシェアしてみました。


僕が、人って、優しいな、と思う時は、

何か優しく親切にしてくれた時よりも、

優しくありたい、でも、あれない、
そんな自分の限界を深く受け入れて、
それでも優しくありたいと願うこころに触れた時。

制限を経験する世界に落とされた者同士が、
体験を分かち合えたような気分になる瞬間、

ヒトって、優しいなぁ、と感じる。


愛することだけ考えて
それでも誰かを傷つける
そんなあなたが大好きだ
そんな友達が欲しかった
   - 甲本ヒロト



いいなと思ったら応援しよう!