「師匠の教え」:愛

数ヶ月前、新型コロナウィルスの感染が起こり出した頃に、オレゴン州ポートランドから娘夫婦が実家に移ってきた。大きな街で錯乱が起こるのを恐れ、安全を求めて戻ってきた様子。娘はその時妊娠3ヶ月目。母と私の二人だったので、人が増えて賑やかになり、我が家に活気が出てきた。

我が家はマウイ島辺境の地ハナの約1エーカー。庭は四六時中の手入れが必要だ。ハナは雨が多いので、植物の成長が早い。土地の右端まで、やっと手入れが終わったかと思えば、左端の草はもうボーボーに伸びきっている。永遠に芝刈りや木の剪定をしなければならない。女手ではなおさら大変である。

庭仕事は私の肩にのしかかっていたので、今回は娘の主人が便乗して、喜んでお庭を管理してくれて助かった。ところが、母が切って欲しくない木や花を間違って切ってしまうなど、ちょっといざこざが起こり始めてきた。それ以来、母にとっては、彼がすることは何もかもダメなのだ。

家族会議を問題が起こる度に開いたが、母の心の中では、小さな種は雪だるま状態になってしまっており、雪だるまが大きくなっていく加速を止められない。頭痛や胃痛にもいたるストレスとなってしまい、ファミリードクターに会いにいく。

Dr. ベッカムのオフィスは赤、白、ピンク、黄色のハイビスカスに包まれ、海を見下ろせる海岸沿い。訪問するだけでも、心癒される。ドクターと奥様が一緒に話を聞いてくださり、「考え方を少し変えると良いでしょう。家族なのだから。無条件の愛で、見返りを求めなくても、何も損はしませんよ。」と、瞑想することを提案し、心が落ち着く血圧の薬を処方してくださった。

愛について、師匠がこう教えてくれました。

「愛は与えるものであり、求めない。求めると愛は壊れる。愛は育むものであり、育っていくものである。片方だけではダメ。双方与え合う。だからハートマークは二つの月がくっついたもの。」

「愛とは心が真ん中に来る。真心とは、真実の嘘のない心。”天から注がれる”という漢字だった。見返りを求めない心。」

今日、私はどれだけ愛をかけただろう?

私も自分のストレスで愛する人にそのイライラを感じさせるような言動を取ってしまったような気がする。そのような言動は、「求める」ことに等しいだろう。このイライラをなんとかして欲しいから、そういった態度を取ってしまったのかもしれない。自分勝手なことだったと反省。求めて愛が壊れることがないように、自然な愛が送り届けられるような自分になれるよう努めて心がけていこう。

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