何のための継続?目的達成には継続内容の質と量で決まるって話。
新年なのでこんな話題を。
新年の抱負でよくありがちなのが、「〇〇を継続する」や「〇〇の習慣化」ではないでしょうか。
そこで言語化が終わってる人も多いイメージです。
ただ、
何のためにそれを継続するのですか?
どうして習慣化させたいのですか?
そう聞かれたら、これらの質問に答えられない人はいないと思います。
何かしらの目的達成を新年の抱負として描いたからこそ、「〇〇の継続」を挙げているわけですから。
とした時に、継続する目的もセットで言語化しておかなきゃだし、定期的にその継続が目的地に向かえてるのかを確認しなきゃいけないのでは?って思っています。
さて、目的になるような「成長」や「成果」を生むためには、やはり、ほとんどの場合で「継続」は必要不可欠です。
さらに、そのプロセスにおいて、一旦、継続すること自体を目的にするフェーズがあることも間違いありません。
でも、やっぱり目的があるなら「継続」は手段でしかありません。
だからこそ、継続しながらも
「何のためにこれをやってるのか?」
「これを続けた先に目的達成した自分の姿があるのか?」
ってところに、都度都度で戻る必要があるんじゃないかって思ってます。
具体的には、継続してる内容の「質と量」が目的地に向かうために適切なのかを見極めて、修正し続けることです。(ある意味で修正の継続)
もし、ただ続けたいだけなら、続けることだけが目的ならば、ほとんど負荷を感じないような本当に小さなサイズに設定すればいい。
ランニングとかだったら、とりあえず着替えればOKとかね。
そうすれば、だいたい続くんですよ。
(これでも続かない人に関しては、一旦ここを目的にするしかないです)
ただし、おそらくそこで終わっていたら、それを継続してるからOKとして、いつまでも許してしまっていたらどうでしょう?
例えば、ランニングを継続することで達成したい目的(5kg痩せるなど)に辿り着くにはものすごい時間がかかるんじゃないかなと。
この目的達成するまでにすごい時間がかかるってのが実はネックです。
成果が出ないことを続けなきゃいけないことほど、モチベーションが失われることはないですから。
日々の心身の状態によって負荷をコントロールする技術は必要ですが、負荷をかけないで達成できるような目的なら、それはもはや目的にするに値しないのではないでしょうか?
そんなことを新年だからこそ考えています。
継続することは、もう当たり前の状態にしつつ、質と量にもこだわっていきたいものです。