自己肯定感の高さと無神経は関係するのか
こんばんは、玲音です。
心がざわざわすることが多く、つい気軽に連絡できる友人に夜中にLINEを送ってしまうので、朝になって反省しています。
許してくれる友人たちには感謝しかありません。
※今回は、少し具体的な人間関係の話になってしまうので生々しいのが苦手な方はご注意ください。
数年間、疎遠になっていたものの、たまたま最近になってまた連絡を取り始めた友人がいます。
以前はよく一緒に出掛けたりして仲良くしていたのですが、彼女が私のことを邪険に扱うようになったため自然と疎遠になっていました(おそらく彼女も私に対して同じように思っていると思います)。
彼女は、私とは真逆のメンタルの持ち主といってもいいくらいポジティブで自己肯定感が高く、(いい意味で)自己愛に溢れています。
セルフケア能力も高く、食事・運動で健康維持を欠かさない所謂「意識高い系女子」
そんな真逆の彼女を話すのが私は楽しかったのですが、少しずつ違和感を感じることが増え関係が崩れていきました。
私は始め、年下ではあるものの彼女を精神的にある程度成熟しており気配りができる人と思ってみていました。
が、付き合っていくうちに自分を大切にするために、他人を傷つけるのも厭わない人という印象に変わっていきました。
例えば、二人で会っているのにずーーーーーっとスマホを見ている。
電車移動中、1人で芸能人のtictokを見ている。
ライブ帰り感想を語りあいたいのに、無言でTwitterを更新し続けている。
急ぎの連絡が入ったのか、目の前にいる私の存在は芸能人のストーリーより軽いものなのか、となんとも言えない気持ち悪い状態になった。
そう切り出すこともできず、「大丈夫?何かあった?」「何見てるの?」と私がそわそわしていると、
その日のうちに彼女はTwitterに
「私スマホの画面人に見られるの嫌なんだよね。初めて覗き見防止フィルム買ったわ」
と呟いているのを見て、どの口がそれを言うとキレました。なぜ私がそういった行動をとったのかを正直に伝えました。
「1対1で会っているのに、スマホばかり見ているのは寂しいし私に対してあまりにも失礼ではないか」と珍しくはっきり伝えました。
当然私も不快にさせたことは謝りましたが、彼女とはそれっきりになっていました。
久しぶりにX(Twitter)で彼女を見かけ、怖いもの見たさでブログを読んでみたところ、彼女が心療内科を受診し、休職を経て転職したことを知りました。
やはり人は簡単には変わらない。変われない。
業務が多忙になり、精神的に負荷が増え、適応障害で休職。
彼女はさっさと転職活動を始め第一志望の企業から内定をもらっていました。さらに、まだ休職期間は残ってるからゆっくり過ごしたい、とも。
そして、ブログはこう締めくくられていました。
「心が○んだら終わりだからね。」
読み終わった時、とてももやもやした気持ちになりました。
タイトルは「休職からの転職成功談」のようになっていましたが、あなたは本当に病気だったの?
休職は「復職すること」を前提に、義務とはいえ会社のポジティブな対応であることを全く理解していないのか、完全に無視をしているんじゃないの?
そして、転職活動するほど気力も体力もあるのに本当に休職する必要があったの?
休職中に不義理をする人を採用する企業は果たして本当に年収アップ以上の価値があるの?
最後の言葉は、本当に必要だったの?
自分のブログだから何を書いても自由だけど、心を病んでいる人間が見たら余計傷つくと分からないの?
本当に休職が必要な人は、転職活動をする気力も体力もないことがなぜわからないの?
締めの一言は、本当に必要だったの?
心が死んだ私は、彼女の言葉では「終わり」のようです。
これが「健康的で意識高い系女子」の代表ならば、私は人を傷つけてまで自分のことを発信しようとは思わない。
自己肯定感が高いのはとてもいいことだと思います(私は低すぎてお話しになりませんが)。
けれど、それは無神経さと表裏一体だということを彼女は学んでいないように思います。
無理が通れば道理が引っ込む世界。
色々なことを考えて、苦しんでいる人がバカを見る世界。
その世界で羽を伸ばして生き生きとしている彼女のような人の裏には、隅に追いやられ息苦しさの中足掻いている人がいるのを見ようともしない人。
これを文字に残し、自信をもって発信している彼女は私とは全く違う世界の人種だということがはっきりして良かったです。
心がもやもやしたままに書いているので、口調もいつもと違いますね。
私自身の妬みが入っていることも重々承知しています。
読みづらくてすみません、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。