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かもめマシーン「もしもし、あわいゆくころ」

2022年6月24日(金)から定禅寺通グリーンベルトにて開催される、かもめマシーン「もしもし、あわいゆくころ」、機会をいただいてゲネプロに体験させてもらったので、振り返りを記しておくことにする。

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「電話演劇」という体験は、現代美術と現代演劇の境界をゆく、仙台では初めての表現スタイルではないだろうか。川村智美氏が2014年、せんだいメディアテークでの展覧会「記憶と想起」の中で、舞台音響家、本儀拓(キーウィサウンドワークス)氏と共に制作した、黒電話を用いて音声を聞くという展示があったことを記憶しているが、今回は電話の向こうで俳優がライブで発する声と観客自身がやりとりできる、斬新で稀有なスタイルと言えよう。何しろ、俳優と観客が一対一の、人として真っ当で対等な最小単位のやりとりである。

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会場である電話ボックスには、黒く四角い柔らかな座面のハイチェアと赤い傘のミニランプ、小さな花瓶に活けられた花とティッシュとノートと鉛筆、そして黒電話がある。
観客は鑑賞中、自由にノートに思ったことを記述して良い。ひっかかった言葉、感想、思い浮かんだイメージを記すと良いだろう。室内照明の明るさも調節可能なので、好みによって調整しよう(私は始まってから昼白色の蛍光灯を消した)。
鑑賞時間は、おおよそ40分である。諸注意を聞いて、黒電話の操作を確認して、呼吸を整えたら、観客自らが指定の電話番号のダイヤルを回す(文字通り!)ことで体験が始まる。

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俳優を通して語られる言葉は、基本的に瀬尾夏美が書いた「あわいゆくころ」の抜粋ではあるが、端的に言って、活字が立体的に受話器を通して聞こえてくるダイナミックさは、観客がそれぞれにイメージを喚起させるに十分な密度と温度を持っており、改めて「言葉には力がある」と感じさせる。
作家・瀬尾夏美が同著作の中で記したものは、思えば「生活を営む技術の実際」ではなかったか。あるいは「仮設の町の喪失」と「新しい町の創出」の瞬間ではなかったか。それらの叙述が、定禅寺通の往来の中で俳優の声を伴って体験すると、まるで車のタイヤが巻き起こすノイズが、寄せては返す波音に聞こえてくるようだ。ケヤキ並木の緑が、鬱蒼とした沿岸の松林にも思えてくる。私は一体、今どこにいるのだろうか・・・・・・。

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言葉が、目の前にある。作家が記した「生活の営み」が、俳優の声を伴なうことで立体化する。他人事であったはずの数字が、リアルに聞こえてくる。それは換言するならば、口伝えの伝承、すなわち口承である。
この演劇体験は、実は歴史を紡ぐことに直結している体験でもある。もちろん、捉えようによっては内戦やウィルスやその他の、喪失の物語とも受け取ることができる。

喪失を認め、嘆き、うろたえ、それでも、目の前に新しい暮らし、新しい町ができて行く。復興ってなんだ。歩き始めるということは、寂しさを携えて行くということなのかもしれない。「もしもし」という問いかけに、あなたは、私は、どう応えていけばよいのだろうか。

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