見出し画像

泣きたいときは泣けばいい

 昨日、生理前だということも間違いなくあると思うのだけど、YouTubeのとある動画を観て父親のことを思い出して、重ね合わせて、わんわん一人で泣いた。上着も脱がずにキッチンの廊下の端に座り込んで、暖房の切れたままの寒い部屋で久しぶりに泣いた。

 わたしは父を思い出すことも、今生きている世界で見ること聞くことに父を重ねてしまうことにも、まったく制限をかけていない。
 この間、大晦日の日に妹と二人でお墓参りをしたときの話。水場の方へ花を入れる容れ物(あれの名前なんていうんだか知らない)を洗いに行ってくれた妹に、声をかけたおじさんがいた。

「お兄さん、亡くなったんだって?大変だったね」

 妹は、見知らぬそのおじさんに誰かと間違われているのではないかとよくよく話を聞いたところ、どうやら自分は、そのおじさんから父と兄妹だと思われているのだと理解した。ちゃんと教えたところ謝ってくれたようだが、きっとあまり父のことを知らない人なのだろうと思う。
 父は祖父の代からの仕事を引き継いで、もう20年地域に根付いた仕事を生業としていた。だから父の訃報はすぐに広まっていった。風の噂でそれを知ったどこかの誰かが、好奇心にも似た気持ちで母に声をかけることもしばしばあったという。このおじさんもその類かもしれない。

「まさかの50代に見られた?ウケるんだがw」※妹
『笑えるねw』※わたし

「ほんと……自分の人生にまさかこんなことが起こるなんて思わなかったよ」
妹は話し出した。

『本当に。青天の霹靂すぎたね。わたしは最近少なくはなったけど
 未だに家で一人で号泣するときあるw』

「わたしは一人で泣いたりはないかなぁ。まさか、、
 いや、そうなる可能性があることは分かってたのに……
 時間が経ってもやっぱり後悔は残ってて……
 考えると自分のこと絶対責めちゃうから考えないようにしてる」

 妹の、父の死に対する考えは当初から変わらない。
当初から、って、まだ1年が経ったばかりだが。
いや、1年しか経っていないともいえるし、もう1年経ってしまったともいえる。とてつもなく長い時間だったようにも、あっという間だったようにも思える。いずれにしても時間は刻々と進んでいる。

 あの日妹は、茫然自失で泣き崩れてどうしようもなく自我を乱していたように見えた。視点は定まらず空を見て脱力し、静かに涙を流しながら時折狂ったように泣き叫んだ。
 普段からよく泣いて感情表現の豊かなわたしのほうが、自分でも驚くほど冷静に周りを見て、家族のことを何とか支えなければと思っていたくらいだった。(これは長女属性によるものもあったかもしれないが、元のベースが弱いからこそ、あまりに衝撃的な事実に対する強い防御反応が働いていたともいえるのではないかと思っている)

 妹はいつもはわたしとは逆で、冷静で、現実的に物事を見て判断する子だ。それがこんなひどいことが起きたときには、冷静さなんて欠片も残さないほど心を乱していた。わたしは見るに堪えなかった。

 未だに何かおかしな夢を見ているのではないか、と思うこともある。
実は父はどこかで生きているのではないか。死んでしまったというのが何か悪い冗談だったんだ、とどこか思いたい自分が消えない。有り得ないことが起きてしまった、それを、真に事実だと真正面から受け止めて理解することは、もしかしたら生きている間にできることではないのかもしれない。
 彼はわたしがこの世界に生まれてからずっとわたしの人生の中に当たり前に存在していた。意識はしていなかったけれどもやはり、血の繋がった父親だ、大切な存在だったんだということにいなくなってから気付いた。よくある話である。こんなことを書いていたらまたすぐに泣けてくる。ひとりではないので今ここでは泣くに泣けないが、きっと家にいたら泣いていた。泣きたいときは泣けばいいのだ。

 妹が泣かない理由は、きっと思い出せば自分を責めて苦しくなるからだと思う。記憶に蓋をすれば、普遍的な日常をなにごともなかったかのように過ごせる。思い出してしまえば、本当は後悔しているたくさんのことを受け止めざるを得ず、日常が途端に苦しくなってしまうのだろう。
 なぜもっと寄り添ってあげられなかったのか、もっと理解してあげられなかったのか。あのときも、あのときだって、抱き締めてあげたかった。大丈夫だよ、わたしがいるよって言ってあげたかった。ぜんぶできたはずなのに、なぜ、なぜ。

 後になってから思うことなんてたくさんある。それはなにも父が自ら死を選んだという出来事に対してだけではなく、なにごとにおいても言えることだと、解釈している。
 妹と同じことを思うという部分も少なからずある。事実としてもっとしてあげられたことはたくさんあったからだ。わたしたち家族がもっと双極性障害について理解があれば。父に対してもっと寛大な心で居られたなら。もっと足繫く会いに行っていたら。
 しかし、わたしは父親に対してしてきたことや態度に後悔はしていない。
そのときに素直に思った通りのことをしたまでで、もっとこうできたとか言うのはあとになって色んな情報だとか新しい認識だとかを取り入れた結果として思えたことなのであって、時間が経ってから思うことに、過去の自分が責任を問われるいわれはないわけだ。分からなかったのだ。そのときにはそう思えなかったのだ。ただ、それだけだ。
 それに後悔をしたところで、生き返って、いつもの裏口からタバコと加齢臭のきつい疲れた体をもたげて、「ただいま」とかえってきはしない。その悲しすぎる事実がもう二度と覆らないことは決まっているのに、これ以上、そのことで悲しみを倍増させたり、犯人捜しをしたり、責めたりするのは間違っている。妹だってきっとそれを分かっているから、思い出したくないのだろう。考えたくないのだろう。どうしたって自分を責めてしまうから。

 だけれどわたしは思う。泣きたいときは泣けばいい。
もしも、心に静かに溜まっていくどす黒い感情がいつか、彼女のことをかつての父のように蝕んでしまうのならば、気づかぬ間にそれが大きくなってしまう前に。泣いてもいい。ぶちまければいい。つらいと叫べばいい。誰かに思いきり甘えればいい。そう思ってやまない。いつか妹がもう少し自分の心と向き合える隙間を持てたとき、そうやってさらけ出しても辛くなくなる日が来たらいいなと、願ってやまない。

 わたしの中にも確かに、「父」は存在していると感じることがある。スピリチュアルな話をしているのではなく、遺伝的なことや、精神面での波の話である。彼のように爆発的にぶち上がったり、ガクッと急激に落ち込んでしまうような病的なことはないが、確かに遠からず似た要素みたいなものがあると思っている。
 それが、いつ暴走するかもしれない、という恐怖みたいなものがないとも言えない。しかし、それをこれからも飼いならしていくのだという静かな決意のようなものもある。二度とこんな悲しみを知る人が増えてはならない。そう思っているからだ。

 日本では、毎日およそ90人近くの人が自らの手で自らの命を絶っている。今この瞬間も、悲しみ、途方に暮れる人達がいる。だけれど少なくとも自分の周りではもう誰もこんな気持ちを知るべきではない。そして特に自分自身が誰かを悲しませるようなことはあってはいけないし、絶対にそうはならないと心に決めている。この生きづらい社会で、様々な人たちの間で生活をしていくからこそ、自分の感情や意識には素直に真摯に反応していくべきなのだと思う。

 だから何度でも言いたい。
泣きたいときは泣けばいいよ、と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?