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まれに不安感が来るのはなんで?
あるものはちゃんとあって、ないものは(どこを探しても)ちゃんとない。
不安感はある時だけあり、ない時はどこを探しても絶対にない。
これが大原則です。
そして、ここからチャネリング情報です。
悲しみと苦しみを避け続けて不感症になり、エゴを邁進させると、聞かん坊になって誰彼構わず怒鳴ったりと暴力を振るうようになって困った人生を送る事になれるよ。
だから定期的に悲しみに触れてるんだよ。
本当に人の心がわからない人になりたいの?
(恐れも不安も悲しみの1カテゴリ)
不安になっしまうことを拒否しないでほしい。不安になることは決して悪いことじゃないから。むしろ、(この時代においての)自分が望んだ個性を発揮しうる土台形成に役立っている。
チャネリングここまで。
つまり、悟った後でも普通に不安感は時々やってきて、時間がたつと消えて忘れます。その理由はなんで?という疑問でした。
その回答は、
この時代においての人格形成というか、浮世離れしすぎることで、人の痛みとか苦しみ方を忘れてしまってそこ(現状の人々の社会)から離れすぎてしまうと、自分の生まれた目標の一つでもある「他の自己」への架け橋と言うことをおざなりにしてしまうことを悔やんで、そうしない戒めとしての不安感を定期的に受け取ることに同意しています。
無敵感の逆ですね。無敵である、あろうとすればするほど、そこから遠い存在に向けて脅威ととらえることに加担してしまって、我々の本位から道を踏み外すことに至ってしまいますので、それを避けたいという意図、思慮、思惑があってそうします。端的に言いますと、人の役に立ちたいからです。隣に座り。
それ以外にはありません。
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個人的な気づきを一つシェア。
人にはレベル(その現場で保持したい気づきのレベル)というものが存在しています。こう見ることのメリットがありまして、それは、悟りの幅、階層を認めることにより、その場その場で求められる答えをそれぞれ多角的に発露することができて認識が深まるというものです。
つまり、一つの物事を、だれか特異な方がこれはこういうことだ。と断定するのとは違って、様々な方たちがさまざまなものの見え方で披露/発露することにより、それが多層な面を補うことが可能となり、発想のバラエティーが増す効果があります。
一粒で無限においしい在り方だと言えますね。
つまり、飛躍させて言うと、誰か到達した人だけが有意義で素晴らしいというほどの事でもなくて、みんながみんなそれぞれにいい面と悪い面がありどれも素晴らしいということになります。それはつまり、どのような判断もジャッジも効かない(無効)だということの表れだとも言うことが可能になります。
悟りとは、単に悟ればいいということではありません。
悟ってさあどうするのでしょうか?そこが肝心なのです。
不安をまれに感じることを心配したり、怖れたりする必要は何処にもありませんよ。なぜかと申しますと、「それがそうだから」としか言いようがないのですが、「それがそうだから」になります。
解釈の幅が無数に幾重にも伸びていくことを認めて受け入れていてください。そうすれば、不安もまたトッピング(料理のトッピング)です。楽しんでください!
いつものごとく、所々チャネリングが含まれていますので、読みにくさがあるかもしれませんが、センテンスを学んで、リズムをつかんで、その周波数に同調して、それがそうである(同調力で共感して)と自分と同じ意見だと認めること、なじませることでこの新しいリズムを実際に体感することができます。何か惹かれるのであればお試しください。
不安も悲しみもあっていいものです。
なぜかわかりますか??
(わからない場合は何度もリズムをとるように読み返してなじませてみてください。)