母の背に揺られながら見た景色、優しい匂い
「今日は英語の習い事の教室まで
自転車で行きたいなぁ」
8歳の僕は当時、よく思っていた。
僕は当時、となり町の
英会話の教室に
同い年の友だちと通っていた。
同じマンションに住む
親友と勝手に思っていたやつで
英会話の後も2人でマンションの屋上で
たわいもないことを話してから
家に帰るような仲だった。
8歳ともなると
自転車で遠くに行きたい年頃だったし
何より2人の会話を
親に聞かれるのが
少しずつ恥ずかしく思うように
なっていたと思う。
だからいつも
「今日は自転車で行ってくるね!」
と言うんだけど
でもうちの母は
「今日は雨が降りそうだから車で送って行く!」
「買い物のついでだから乗って行きなさい!」
など
なにかしら理由をつけて
車で僕と友だち2人を
英会話まで送って行こうとする母親だった。
英会話だけじゃない。
剣道の習い事に行くにも
買い物に行くにも
車で送って行きたがる性格で
その当時にそんな言葉は知らなかったけど
過保護だなぁ
と感じていた。
小学校6年生の卒業文集に
・将来やりたいこと
・魔法が使えるなら何をする
という問いに
どちらにも
「一人暮らし」
と書くくらい
少し親の関わりを
重荷に感じていたように思う。
だけど
親になった今思うのは
それくらい目をかけてくれていなかったら
誰かに愛情を注いでもらおうと
必死になっていたかもしれないし
性格が捻くれていたかもしれない。
承認欲求の塊だったかもしれないし
人を頼ることが全くできない
人だったかもしれない。
過保護といっても
そんなに甘やかしてくれる
わけではなかったので
ちょっと距離が近いけど
味方でいてくれてるんだ
という感覚を
小さい頃から持てたことに
とても感謝している。
小学生だった頃のある日
友達の家に泊まりに行った日に
体調を崩しちゃって
母が迎えにきてくれたんだけど
その時、理由は忘れちゃったけど
車じゃなく
背中におぶってもらって
帰ったことがある。
何を話すでもなく
周りが少し暗くなった中で
迎えにきてくれて
その背中に揺られながら
母に対する
申し訳ない気持ちと
恥ずかしさと
ちょっとばかり
有り難さを感じていた。
その時の感触は
この歳になっても残っている。
親として
色々手を尽くして育ててもらったけれど
多少過保護でも
たくさん愛情を注いでもらえたから
逆に今
人に甘えようとすることなく
少しは他人を愛そうとすることが
できていると思う。
ちょっぴり重荷に感じていた愛情も
親として
1番大事なことだったんじゃないか
と今は感じている。
そんな私の母は今
大病を患って
18年くらい入院していて
今もまだ言葉をうまく話せないんだけど
今度の面会の時は
好きなマックのポテトでも買っていって
「ありがとう」
は少し恥ずかしくて難しくても
「おめでとう」
くらい言えたらいいな。
うちの娘にも
少しずつでもウザがられるくらい
愛情を注いでやろう🫡
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