4 苦しさからの解放
娘の死を全肯定しても、なお苦しかった私は、結局自分が自分を苦しめてることに気づき、自分が苦しいと思った時、なにに苦しんでいるのか、なぜ苦しいのかを自分に問うようになりました。
幸い、絶賛絶望中の私は世の中など見えていないので、自分に集中することしかできません。苦しみの断捨離の絶好の機会を与えられていました。
そんな自分との問答の時間の中で、苦しみというものは、ほぼ自分で創りだしていることがわかりました。状況に反応して感じる悲しみとは種類が違い、苦しみは自分で消していくことができるものたっだのです。自分次第でその苦しい状況を変えられることに気づきました。
例えば、人の目が怖くて苦しいなら、なぜ苦しいと思うのかを考えてみる。そうすると、人は人を怖い目で見るものだと思い込んいるわけです。さらになぜそんな発想になるかといえば、自分が人を批判的な目で見た経験があるか、または批判してる人と話した(話を受け入れた)ことがあるからなのですね。
私の場合、それを認識し、もうやめようと手放したら、人の目の怖さから解放されました。でももし、私が他人を批判的に見てた自分を正当化して持ち続けるなら、私は今もずっと人の目の恐ろしさから解放されなかったままでしょう。
私が苦しみを解放した手順はこんな感じです。
苦しいこと→①なぜ苦しい?→②自分の思い込み発見→③その思い込みの原因は?→④原因を手放す→⑤解放される。
この、手順はあらゆる苦しみの解放に使え、セルフセラピーができてしまうくらい効果的でした。日々の苦痛とも言えないちょっとした違和感もこの方法でスッキリしてしまいます。
例1:遺族であることが苦しい→①人の目が怖いから→②子供を救えなかった親と思われると思ってる→③自分が自死遺族に対して思っていたことがあるから→④自分の行いは間違いだと認める→⑤偏見の目は過去の自分の目なので、未熟な自分を見るようで怖くない。
例2:今日の弁当は苦痛だ→①ピーマンがあるから→②まずいけど食べなくてはいけないと思ってる→③子供の頃から好き嫌いはいけないことと言われていたから→④食べない自分を許す・嫌いなものがあることはいけないことではないと決める→⑤食べない。
例3:学校が苦しい→①行きたくないから→②行きたくなくても行かなくてはいけないと思ってる→③学校に行くのは普通だから→④普通じゃなくていい→⑤学校に行かない。
ただし、この方法では一つだけ、勇気がいるポイントがあります。人に代わってもらうことができない最重要ポイントです。それは④の原因を手放すところ。自分が信じてきたことを正当化したい気持ちを捨てるのは、なかなか勇気がいることだからです。
例えば、ピーマンを食べない自分を許すためには、親に無理やり食べさせられてた自分を間違いだったと認める必要が出てきますが、一生懸命食べてた自分が無駄だったのかと思うのは結構辛いもの。でもピーマンを見るたびに苦しくなるのが嫌なら、向き合わなくてはいけないのです。
さて、私のいた絶望の底には、まだまだたくさんの娘の死に伴う苦しみがありましたが、この方法で苦しみに向き合うことで、自分らしい生き方を身につけ、今の心地よい暮らしにつながっていくのでした。どんな苦しみをどんな風に手放してきたのか、次のページでもう少しお話ししたいと思います。
つづく
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